89話
鈴掛と雄太のやり取りを聞いて、梅野が切なそうな顔で話し出した。
「で……その噂が広がり、大勢の人が東雲に押し掛けて、その所為で市村さんは笑えなくなった……んでしたよね?」
梅野の言葉に鈴掛は頷いた。
「あぁ……。俺が初めて春香ちゃんと会った頃は、まだぎこちなくではあったが笑えてたんだ。けど、段々と無表情になって来てな……。施術の疲れもあるんだろうと施術回数を減らしたんだが効果がないって直樹先生が悩んでてな。まぁ、施術を受けられなかった奴等の苦情や嫌がらせが相次いだ処に、親からの金の無心だ……。心が疲弊しきってたんだろうな……」
雄太は、直樹も『笑えなくなった』と言っていた事を思い出した。
「それで、俺が市村さんの笑顔のリハビリをする事になったんだよ」
「え? それは……どう言う意味ですか……?」
驚いた雄太が訊くと、梅野は少し恥ずかしそうに笑った。
「俺さ、デビュー直後に落馬したんだよ。で、鈴掛さんに東雲を紹介してもらったんだ。俺は親の反対を押し切って騎手になったってのもあって焦ってたんだよね。『いくら金が掛かっても構わないから、一日も早く治したい』って思ってさ。その焦りから、予約の時間よりかなり早く着いちゃったんだよ。市村さんの休憩明けを待ち合いで待ってたら、受付の隣のドアを開けて店に入って来た市村さんと目が合ったんだ。俺、『何でこんな子供がマッサージ店に居るんだろう』って思って見てたんだよ。市村さん、マジで同級生に見えなかったから。そしたら、トコトコと近付いて来て『予約の方ですか? 良かったら中のベッドで待ちますか? 痛むのが腰なら 座ってるの辛いでしょう?』って 」
「それって、最初のタレントの時と一緒ですよね……?」
雄太が訊くと、梅野は頷いた。
「そう。でな、帰りに直樹先生が『あの子は警戒心の塊になってるから、自分から初対面の人に近付く事はない。良かったら、少し話し相手になってやってくれないか』って言って来たんだよ。俺は市村さんの施術を受けて、騎乗依頼をふっ飛ばさなくてすんだ恩返しの気持ちと、市村さんの無表情が気になってたのもあって、たまに話し相手になったんだ 」
「そんな事があったんですか……」
直樹から聞かされた過去……。
鈴掛から聞かされた過去……。
梅野から聞かされた過去……。
どれも、雄太には重く暗く悲しくつらい話だった。
「ところがさぁ〜」
梅野が、それまでと違ういつもの口調で話を続けた。
「市村さんが、俺に対して興味がないってのが気楽って言うかホッとするって言うか、そんな感じが心地良くてさぁ〜。気が付いたら、俺が癒やされてたんだよねぇ〜。何かするとか、笑える話をした訳でもないのにさぁ〜。俺、笑顔のリハビリを引き受けたんだぜぇ〜? なのに、俺が市村さんに愚痴を聞いてもらったりしてさぁ〜。帰る頃には、なぜか笑顔になってたんだよなぁ〜。 そう言うの、雄太なら分かるだろぉ〜?」
雄太は、梅野と一緒に東雲に行った時の事を思い出した。
女性客だけでなく女性従業員まで、梅野を見て色めき立っていたのに、春香は至って冷静だった。
(市村さんはイケメンだから……とかそんなの関係なく、誰にでも優しくて自然に癒せる人なんだ……。自分が心が傷付いていて、つらくて悲しくて笑えなくなっていても、人を癒せる人なんだ…)
春香の体は一つしかない。
それなのに、我も我もと押し掛けられ、苦情や嫌がらせを受け、親に金の無心をされても、人に優しくし仕事をこなして行った春香を『本物のプロ』だと雄太は思った 。




