890話
11月3日(日曜日)
京都競馬場 10R 第57回菊花賞 G1 15:35発走 芝3000m
雄太は綺麗に晴れ渡った京都競馬場の空を見上げてから本馬場入場をする。
一番人気の雄太が登場すると歓声と拍手が場内に湧いた。
(雄太くん、頑張ってね。無事帰ってきてね)
子供達は新しく作ってもらったポンポンを手にテレビに向かって声援を送っている。
「パパ。がんばれ〜」
「ガンバレ、ガンバレ。パーパ」
「パッパ、パッパ〜」
春香は少しふっくらとした腹に手を当てる。
(お兄ちゃん達の声が聞こえるかな? 元気で優しいお兄ちゃんばかりだよ。一緒にパパの応援しようね)
この子はどんな子だろうと想像をする。凱央に似て少し照れ屋だけれど頑張り屋だろうか? 悠助に似てお兄ちゃんが大好きな子だろうか? 俊洋に似て明るく快活な子だろうか?
雄太のように人に優しく、自分に厳しく、真っ直ぐに生きて欲しいと強く強く思う。
「私も、長距離戦の時はドキドキしたわね」
一緒にテレビを見ている理保が優しい微笑みを春香に向ける。
「そうですね。私は無事に帰ってきてくれるのが一番だと思います」
「ええ。乗ってる本人達は順位が一番だと思っているのは知ってるけど、やっぱり何事もなく帰ってきて欲しいわ」
距離が長いと心配は増える。過剰に心配していては騎手の妻としては駄目だと思うが、無事にレースを終えて欲しいと願わずにはいられない。
雄太は輪乗りしている鈴掛と梅野のキリリとした騎手の顔をしている二人をチラリと見る。憧れ追いかけていた二人の背中を見詰め、大きく息を吸い込んだ。
(よし、頑張るぞ)
鈴掛と梅野がゲート入りを終えた後、雄太は大外の17番ゲートにゆっくりと入っていく。
一拍おいてゲートが開いた。前に出たがる馬につられないように、少し手綱を押さえる。
一周目のスタンド前を通過すると歓声が湧き上がった。
(雄太くん……)
春香は画面の中のピンク帽を目で追いかける。雄太は中団に位置していた。
そのままの位置をキープしながら、馬群は向こう正面、そして第3コーナーへと差し掛かる。
鈴掛は雄太の少し前にいた。梅野は更に前にいる。雄太にはしっかり二人の背中は見えているだろう。
「パパっ‼ パパっ‼」
「パーパっ‼」
「ガンバエ〜っ‼」
春香はギュッと両手を握り締めた。
3コーナーを過ぎた辺りで、雄太は少しずつ順位を上げ始め、4コーナーに差し掛かると先頭集団に取りついた。だが、馬群の中から出るのが難しい位置だった。
観客席から声援が上がる。それぞれの応援している馬と鞍上の勝利を願って。
(前が……開かないと……。開け……開け……っ‼)
雄太は馬が抜けられる隙間を探していた。
疲れてスピードが落ちてきている馬に気をつけながら、必死で前に出る道を探っていると、思いが通じたかのように前が開いた。
前に出られなかった鬱憤を晴らすかのように馬は前に前にと出る。
「パパが……パパがみえたよっ‼ ママっ‼」
「パーパ、きたぁ〜」
「パッパ、ガンバエェ〜っ‼」
他馬が疲れたのもあるだろう。グングンと他馬を振り切るようにラストスパートをかけ雄太の姿がはっきり見えると、子供達は大興奮だ。
「もう少しっ‼ 頑張ってっ‼」
隣に理保が座っているのも忘れて立ち上がり、春香は雄太が一着でゴール板を駆け抜けるのを見届けた。
画面の中、雄太にしては珍しく何度も何度もガッツポーズをしていた。
ゆっくりとスピードを落としながら、荒い息をしている馬の首筋をポンポンと叩いてやる。
(ありがとうな。お疲れ)
三千メートルを全力で駆けてくれた馬の労をねぎらった。
「おめでとう、雄太」
「ありがとうございます」
「お前、よくあの隙間を抜けたよなぁ〜」
「あそこで開かなかったら駄目だったかも知れないですよ」
レースが終わればいつものように軽口を叩き合う。
祝勝会はどこが良いとか、他愛もない話しに花が咲く。
改めて競馬は良いなと思った雄太だった。




