86話
雄太は、直樹から聞かされた話を思い出しながら、トボトボと歩いて約束の店に向かって歩いていた。
(世の中には酷い親がいるって事は知ってたけど……。それにしたって酷過ぎる……)
春香が今までどんな辛い思いをして来たか……。これからも、どれだけ苦しんで生きて行くのかと思うと、キリキリと胸が痛んだ。
そして、何も出来ない自分自身に腹が立った。
(俺が腹を立てたって仕方ないじゃないか……。でも……俺……。俺は……)
『ごめんなさい』
震える声でそう言って、大粒の涙を溢れさせていた春香を思い出す。
(あんな風に泣かせるつもりはなかったのに……な……)
店に着くと鈴掛達が待っていてくれた。
「梅野が居ると、客の女がうるさいだろうから個室にしたぞ 」
「そんな事ないのにぃ〜 」
鈴掛の言葉に、梅野はヘラヘラと笑った。
「いっぱい食うぞぉ〜 」
念願の初勝利と高い店の美味い飯に、純也のテンションは上がりまくっていた。
「程々にしておけよ? レース前に絶食する事になっても知らないからな?」
「ん〜。二十Kmぐらい走れば何とかなんじゃね?」
雄太の忠告に、純也はお気楽に答えた。
「「ウゲェ……」」
鈴掛と梅野は、ウンザリといった顔でそっぽを向いた。
個室に案内されると、コースの料理が運ばれて来た。
どの料理も手がこんでいる上に彩りも良く、鈴掛が『高い店』と言っていたのが分かる。
ふと見ると、蕾がついた桜の小枝が添えてある小鉢があった。
雄太は、先程二人で座っていたベンチの傍にも大きな桜の木があった事を思い出した。
(市村さん……。今頃、どうしてるんだろ……。まだ泣いてたりするのかな……?)
雄太の胸に押し寄せた切ない気持ちが、胸に納めておきたい言葉を押し出した。
 
「ソル……。俺、失恋した……」
純也は大きく口を開け、鈴掛は持ったばかりの箸を落とした。
「し……失恋っ⁉ 失恋って失恋っ⁉ いつっ⁉ 誰にだよっ⁉ てか、雄太好きな子いたのかよっ⁉」
雄太は、純也の矢継ぎ早の質問に
(ああ……。梅野さんも鈴掛さんも、本当にソルに言わずにいてくれたんだ……)
と優しい先輩達に感謝をした。
一度口にしたんだからと、雄太は手にしていた箸を箸置きに置いた。
「ついさっき市村さんに……。付き合って欲しいって言ったら、ごめんなさいって……」
「へ? 市村さん……? 市村さんって、東雲の市村さん? お前、市村さんの事が好きだったのか……?」
雄太の言葉に、純也は驚いて聞き直した。
「ちゃんと告白したんだぁ〜?」
梅野はワインを一口飲むと目を閉じながら訊いた。
「ちょっ‼ 梅野さんは、雄太が市村さんが好きって知ってたんすかっ⁉」
「まぁねぇ〜。雄太がちゃんと自覚してないから、俺が一発鞭を入れてやったんだぁ〜」
純也が訊くと、梅野は薄く笑いながら答えた。
「まさか、鈴掛さんも知ってた……とかないっすよね……?」
純也がチラリと鈴掛を見ながら訊く。
「え……? あ……うん。知ってた……」
落とした箸を拾いながら鈴掛は答えた。
「鈴掛さんも知ってたんだ……。俺だけ知らなかったんだ……」
親友の事なのに、自分だけが知らなかった事にショックを受けたように俯いた。
「ご……ごめん、ソル。ソルは、前の事を知ってるから言い難くて……」
春香だけでなく純也まで傷付けたかと、雄太は慌てて謝った。
「あ……うん。そっか。うん、分かった 」
過去の恋愛事情を知っていた純也は、顔を上げて雄太を見て頷いた。




