番外編 凱央と自転車
四月のある日、仕事から戻った雄太に凱央が真剣な顔をして話しかけた。
「パパ。おねがいがあるんだけど」
「え? お願い?」
「うん。おふろにはいるまえに……」
そこまで言って、凱央は少し下を向いた。
「どうした? パパに出来る事なら言ってみてくれないか?」
バレンタインデーの前に何か訊きたい事があると言った時と同じような感じがして、雄太は膝をついて凱央の顔を見た。
「じてんしゃののりかた……おしえてほしいんだ」
「自転車? あ、補助輪を取りたいって事か?」
「うん。ママにいったら、パパにおねがいしなさいって」
今凱央が乗っている自転車は慎一郎が買ってくれた物で、その前の物は直樹からのプレゼントだ。
成長に合わせて買ってくれているがどちらも補助輪がついている。凱央の同級生は既に補助輪なしの子がいる。
「しょうがっこうのちかくのともだちのいえにいきたいんだけど……。ダメ……かな?」
「そっか。その友達の家は大きい道で車がいっぱいくる道じゃないんだな?」
「うん」
交通ルールは教えてはある。だが、一人で大丈夫だろうかとも思ったが、友達と遊んではいけないなんて事は言うべきではない。
「分かった。じゃあ、練習しようか?」
「ありがとう、パパ」
その会話を聞いていた春香は優しく微笑んで、雄太が手にしていたバッグを受け取った。
補助輪の外し方は簡単なので、慎一郎宅に行き工具を借りて外した。
「かたほうだけ?」
「初めはな。これで上手く乗れたら、もう片方も外してやるからな」
「うん」
駐車場前のコンクリート部分で片輪になった自転車に凱央は跨った。
やはりヨロヨロとしてしまう。それでも凱央は諦めずに一生懸命に前を見て漕いでいる。
(頑張れ、凱央。凱央なら大丈夫だ)
その日は、安定して乗る事が出来なかったが、翌日も凱央は練習していた。何度も転びそうになる姿に春香はハラハラしていたが止める事はしなかった。
額に汗を光らせて懸命に転ばないように自転車に乗る凱央を悠助と俊洋は一生懸命に応援していた。
「トチオニイタン、ガンバレ」
「ニィニ、バンバエェ〜」
ハァハァと息を吐いて、凱央は悠助達を見た。
「うん。がんばるよ」
「凱央。水分補給しようか?」
「うん」
自転車を置いて春香の傍に行き、手渡された麦茶を飲む。そして差し出したタオルでゴシゴシと顔を拭った。
その時、門扉が開いた。
「あ、パパだ」
「パーパ〜」
「パッパァ〜」
雄太が駐車場のシャッターの押しながら凱央を見る。汗だくの凱央を見て、頑張っていたんだなと分かったようで優しく微笑んだ。
「凱央。自転車を避けてくれるか? 車に当たっちゃうからな?」
「はい、パパ」
雄太は頷いて再び車に乗り込んで車庫に入れる。
降りてきた雄太は凱央と目線を合わせた。
「凱央。自転車で遊びに行ったら、必ず車や人の邪魔にならない場所に置くんだぞ? 分かったか?」
「うん。ごめんなさい」
「よし。じゃあ、これをやろう」
「え?」
雄太が紙袋を手渡した。誕生日でもクリスマスでもないプレゼントに凱央は目を丸くした。
「これは凱央が怪我をしない為の物だ。練習する時にママに着けてもらうんだぞ?」
「れんしゅうするとき?」
凱央が紙袋を開けると膝当てと肘当て。そして、ヘルメットが入っていた。
「パパは、ずっと家にいる訳じゃない。金曜日から帰ってこられない仕事をしてるのは分かってるだろ? ママは悠助達の面倒を見なきゃいけなくて、ずっと凱央の事を見てる訳にはいかないしな?」
「うん。ありがとう、パパ」
凱央は雄太の首筋に抱きついた。
「頑張れよ。凱央なら直ぐ上手く乗れるようになるってパパは信じてるからな」
「うん。がんばる」
凱央は深く深く頷いて、紙袋を春香に手渡した。
「ママ。これつけて」
「うん。これで膝とか怪我しなくてよくなるね」
春香は膝当て肘当ての着けかたの説明書を読んで着けてやった。
その後、凱央は補助輪なしで乗れるようになった。元気で自転車で友達の家に遊びに行く姿を春香は優しい顔で見守っていた。




