84話
「春の『神の手』を欲しがる所は山程あるさ。同業者だけでなく、スポーツ界とか……ね。選手自身が怪我をしたら一日でも早く治したいと思うだろうし、チーム側だってそうだ。主力選手なら尚更だ。君自身が、一日も早く治したいって思っただろ? なら他のスポーツ選手の気持ちが分かるよな? 彼奴等はそう言う業種やチームの所へ行き、春をそこに在籍させると言って専属契約を結び多額の契約金を手にしていたんだ。もちろん春はそんな事は知らないし、承知もしてない。それが 一件や二件じゃない。うちに問い合わせがあったり、店に訪ねて来られたのだけでも両手じゃ足りない。春が『東雲』から『市村』に姓を変えてからも……ね 」
「なっ!! 何ですかっ‼ それっ!! それって、詐欺じゃないですかっ‼」
思わず雄太は立ち上がった。
直樹に怒鳴っても仕方ないとは思ったのだが、怒りが溢れた。
(有り得ない……っ‼ 何なんだよっ‼ それが……それが 親のする事なのかっ⁉ 市村さんがようやく東雲先生達と家族になれたのに……。その名前を捨てて、市村と名乗らなきゃならなかったのが、こんな理由なんて……)
「そうだよ。紛うことなき詐欺だ。さっき、テレビのニュースで流れて来たんだ。奴等が逮捕されたって……ね。それで、春が神社で君にサインをもらうと言って出かけたから伝えに来たんだ。まさか、君が春に告白してるとは思わなくて、声をかけるタイミングを失ったとは言え、立ち聞きしてしまった事は謝る。悪かったね」
「いえ……。直樹先生が悪い訳じゃないですから……」
雄太は、ゆっくりと首を横に振った。
そして、力が抜けたかのようにベンチに座った。
(市村さん……。市村さん……)
目を閉じると浮かんで来る春香の優しく愛らしい笑顔。
自分のサインをする日を『待ちきれなくて』と、恥ずかしそうにしていた姿。
それとは相反する辛く悲しく、思い出したくもないであろう過去。
人に知られたくないないであろう現在。
そして、未来まで関わる実親の逮捕。
(市村さん……。どうして、市村さんがそんな目に……。どうして……)
何度考えても仕方ないとは思っても、春香の過去を思うと『どうして』と言う言葉しか思い付かなかった。
握った拳を目にあてて肩を震わせる雄太を見て、直樹は深い深い溜め息を吐いた。
(鷹羽くんは、まだ十七だったな……。それなのに、こんな風に春を想って……。もし……もし、春が普通に育って来た子で、こんな風に春を想ってくれる鷹羽くんのような男と出会えてたら……な……。こればっかりはどうしようもない……。過去はどうしようもない……。過去は変える事は出来ないのだから……)
「まだ若い君に、春の過去の話を伝えるかどうか迷ったよ……。でも、君が本気で真剣に春を想っていると感じたから話したんだ。悪かったね。初勝利で嬉しい時に、こんな話を聞かせて」
直樹はそう言って、ガックリと肩を落とし俯く雄太の肩をポンと叩いた。
「そうだ。これは言っておかないと…… な。初勝利おめでとう。君はこれから輝く人だ。明るい未来が待ってると思う。頑張ってくれ。……きっと、春もそう思っているはずだ 。テレビで君の初勝利を見て、本当に嬉しそうだったから」
言葉をなくした雄太は頷くしか出来なかった。
直樹は、もう一度ポンと雄太の肩を叩くと店へと戻って行った。
(市村さん……。俺……俺は……。市村さん……)
直樹が去った後も、雄太はしばらくその場を動けずに、呆然とベンチに座っていた。




