846話
その夜、結局寮に戻らずに、純也と梅野は泊まる事になった。
「マジで長居してんだけど」
「雄太ん家は居心地良過ぎて困るぞぉ〜」
雄太は満面の笑みを浮かべる。
「春香が居心地良いなんて思ってもらえるなら嬉しいって言ってるんで」
何日も滞在する夫の同僚に笑顔で応えてくれる妻はそんなにいないだろうと純也も梅野も思っていた。
「そう言えば、おっちゃんとこに挨拶行かなくて良かったのか?」
「あ、父さん達は温泉旅行に行ってんだよ。たまには夫婦水入らずでのんびりしてきて欲しいって思ったから、俺達夫婦からプレゼントしたんだ」
慎一郎が現役騎手だった頃から旅行なんて行ける時がなかった。調教師になってからも何かと忙しく、たまには良いだろうと雄太に言われ、慎一郎と理保はプレゼントされた指宿に行く事にした。
「そっか。おっちゃん、調教師になってから馬が気になるってのが口癖だったもんな」
「良い親孝行出来たなぁ〜」
いずれ慎一郎は調教師を引退する。その頃、もし凱央が騎手になっていたら、レースの事や調教の事が気になって落ち着いて旅行なんて出来ないのではないかと思った事も確かだ。
「そうだ。俺さ、凱央って雄太が騎手なんだってのをちゃんと理解してんだなって思った」
「俺も、俺も〜」
純也と梅野はコレクションルームに飾っていた凱央の絵を見た時から、自分達が思う以上に子供はちゃんと親を見てると思ったのだ。
「しかもさ、凱央ってもう漢字書けるんだな。マジでビックリしたぞ」
「もう、小学校に行くんだなって思ったぁ〜」
一枚目の絵と違って、凱央が自分の名前を書いてあったのだ。
『たか羽とき央』
まだ『鷹』と『凱』の漢字は難しいのだろう。それでも、ちゃんと書けていた。
「お義母さんが文字の読み書きを教えてくれてるんだよ。でさ、お義父さんが舞い上がってさ」
「凱央は天才だぁ〜ってか?」
「直樹先生、言いそぉ〜」
雄太はうんうんと頷いて、ゲラゲラと笑った。つられて純也と梅野も笑い転げた。
翌1月2日の朝早く雄太達は初出勤をした。
昨日降った雪は薄っすらと積もっていて、馬は鼻を寄せたりしていた。
(馬は寒いの平気だもんなぁ〜)
雄太の吐く息は白く、馬の鼻息も白い。調教していると体は温まるが、馬から下りてしばらくすると手足が冷える。
(スタンドに行ってストーブにあたるかぁ〜)
手に息を吹きかけスタンドに上がると、鈴掛が調教師と話していた。その顔は明るくて、新婚生活が上手くいっているのだと分かる。
雄太は冷えた体を温めようとうどんを注文した。
「雄太」
振り返ると鈴掛が立っていた。
「あ、明けましておめでとうございます」
「おめでとう。年末年始、梅野達とずっと一緒だったんだって?」
「ええ。30日から今朝までですね」
鈴掛は明るく笑うとうどんを注文した。
「春香ちゃん、純也の腹を満たすのは大変だろうに」
「ははは。ソルが実家でついたって餅もあったし、おせち料理や鍋したりで子供達も楽しそうでしたよ」
「そうか」
出来上がったうどんの盆を持ち、空いているテーブルにおいて並んで食べ始める。
「新婚旅行、どうでした?」
雄太が訊ねると鈴掛からの返事がなく、雄太は鈴掛のほうを見た。
「鈴掛さん?」
鈴掛は耳まで赤くして箸を握り締めていた。
「……うん。まぁ……その……楽しかった……」
「良かったですね」
これ以上訊くのも悪いかなと思い、雄太は密かに笑いながらうどんをすすった。
(これは春香に教えてやらないとな。鈴掛さん、良い新婚旅行だったみたいだぞって)
初めての恋人と言う訳でもないのになとは思うが、やはり再婚と言うのがあるのかも知れない。
「あ、乗馬教室の小野寺先生に会ったんだ。春から凱央が教室に入るって喜んでたぞ」
「凱央もだけど父さんも喜んでますよ。舞い上がってるって感じで」
話しを変えたいといった鈴掛にのってやり、雄太は凱央の新しいチャレンジの話しをすると、鈴掛はホッとしたような顔をした。
鈴掛は凱央を可愛がってくれているので思いのほか話は盛り上がった。




