82話
「どれだけの恐怖と不安を抱えて……。どれだけ、ひもじい思いをしていたか、俺には想像も出来ないよ……。もし、そんな事をしていたのが冬だったら、春は今生きていなかっただろうね……」
直樹はそう言って溜め息を吐くと目を閉じ、雄太は目を見開いた。
(そうだ……。まともに食べもしないで、冬に公園で寝たりしてたら市村さんは今頃……。俺は、市村さんと出会う事も……市村さんの存在すら知らずにいたんだ……)
「春を見付けた時、俺は小学生の男の子が学校を抜け出して遊び疲れて寝ているのかと思ったんだ。髪は坊主頭に近かったからね。後で訊いたら、散髪代が勿体無いと母親にハサミで短く切られていたと言っていたよ。それでも、何日も風呂に入っていなかったから髪はべっとりとしていたし、体の臭いも……酷かった……」
(親に雑に扱われるにしたって……酷過ぎるっ‼)
雄太はジワリと浮かんで来た涙をグイッと手の甲で拭った。
「声をかけた俺を見る春の怯えたような、光のない悲しげな目は一生忘れられないよ……。俺と里美は……春と出会う少し前に、やっと授かったばかりの子供を亡くしていてね……。今、思うと軽率なんだけど、春を当時住んでいた家に連れて帰ったんだ」
「どうして軽率なんですか……? そんな子供を見付けたら連れて帰っちゃいけないんですか? 可哀想じゃないですか」
まともに食べられず、公園で寝起きをしていた春香を想像するだけで、雄太の中に見た事もない春香の親への怒りが湧き声が震えた。
「うん。まぁ、そうなんだけど……ね。未成年の子を家に連れ帰る……ってのは 『未成年者略取誘拐罪 』って罪に問われる事があるんだよ」
「罪……?」
雄太が聞いた事もない法律だった。
「ああ……。俺も、そんな法律があるって知らなかったんだよ。でも、知らなくても罪は罪だ。その日、店を臨時休業にしたんだけど、それを心配した友人が自宅を訪ねて来てくれて、その法律を教えてくれてね。仕方なく警察と児相に連絡を入れたんだ。春は児相が保護してくれる事になったんだけど、春がね……保護施設から脱走したんだよ。裸足のまま……保護施設から脱走した春は、泣きながら俺達の家に戻って来たんだ……。その保護施設から俺達の家に戻る道なんて知らなかった春は、連れて行かれる車の中から見えた景色を頼りに、何時間もかけて……ね……。そんな春を見て、俺達は春を手放せないって思ってしまったんだ。亡くなった子供の身代わり……なんて言う人も居たけど、俺達は春を正式に養女にしたんだ」
「え… ? でも、市村さんの苗字は……東雲じゃないですよね……?」
直樹達の苗字は『東雲 』。
春香は『市村春香です』と名乗り、名刺にも『市村春香』と書いてあった事に雄太は気付いた。
「市村は、里美の旧姓なんだ。春の親は養女の申し出に対して『どうせ要らない子なんだから養女に出しても良い。だが、三百万円寄越せ』と言って来てね。俺達は、それで春が解放されるならと、奴等に三百万渡したんだ。それで、養子縁組はすんなり行ったんだけど……。奴等は、春が『神子 』と呼ばれるようになり、それなりの収入を得られるようになったのを知ると、金の無心をし始めたんだ」
「そんなっ‼ 自分の子供を要らない子って言ったりしてたクセにっ‼ まともに親らしい事もしなかったのにっ‼」
世の中には酷い親も居るのだと知識では知っていた。
そんな酷い親に酷い扱いをされていたのが、自分が好きになった春香だと知り、雄太は怒りでどうにかなりそうだった。




