81 話
「まだ時間ある? 君に知っていて欲しい話があるんだ」
直樹がそう言うと、雄太は頷いてベンチに腰掛けた。
「君は、どこまで春の身の上を知ってる? 多少は鈴掛さんから聞いたかい?」
「身の上……ですか? 俺が聞いたのは 市村さんが十五歳……高校一年の頃くらいから『神の手の持ち主』って言われ始めたって事ぐらいですけど……」
「そうか」
直樹は、真面目で男気のある鈴掛を思い出す。
(さすが鈴掛さんだな……。簡単に人に話すような事じゃないと思ってくれてたか……)
直樹は、自分より七歳年下ではあるが、信頼の出来る人物だと思っていた鈴掛を改めて優れた人間だと思った。
「春は、高校には行ってないよ」
直樹の言葉に、雄太は自分のように専門の学校にでも行っていたのかと思った。
(市村さんならマッサージの学校に行ってた……とかかな……? そんな学校があるのか、俺は知らないけど……)
「春は、高校どころか中学もロクに行ってないんだ……。サボってた……とか、病気で……とかじゃなくてね」
そう言うと直樹は視線を上げた。
遠くを見るような目には、悲しみが宿っているように雄太には見えた。
「俺が春と出会ったのは、春が十四歳になる少し前だった……。店の開店前に、たまには少し遠くまで行ってみようかと里美と散歩に行った公園で、あの子は生活していたんだよ……」
(え……? 十四歳になる前……? 十三歳で公園で……生活……?)
直樹の信じられない言葉に、雄太の頭の中は疑問符ばかりになった。
「あの子の親は、なぜかは分からないがあの子を毛嫌いしていたらしく、物心が付いた頃からずっと、近所に住んでいた母方の祖母の所に預けっぱなしにしていたそうだ……。そして、そのお祖母さんが、春が中学に入る前に亡くなってね……。春は仕方なく親の元に戻る事になったんだが、親の方は一切親らしい事をせず 、春に新聞配達や内職をさせていたそうだ……。僅かな給料も取り上げられていた上、食事もロクに与えてもらってなかったと言っていた……」
ゴクリと雄太は息を飲んだ。
「私服どころか、中学の制服すら与えてもらえず、近所の人からもらった体操服を着て学校に通い生活をしていたと言っていたよ……。実際、初めて会った時は、薄汚れたブカブカの体操服姿だったんだ……」
(そんな……そんな事が……市村さんに……あったなんて……)
「そして、ついには中学に行かせるのでさえ無駄だと……年齢を偽って工場で働かせた方が金になると言われたそうだ……。唯一のまともな食事である給食ですら食べられなくなると思った春は、家を飛び出したんだと言っていたよ……。限界……だったんだろうね……」
(どうして……。どうして、市村さんがそんな目に……)
固く握った拳が震える。
目の奥が熱くなる。
「夜、公園で寝たりするのが怖いと思った春は、昼間は公園で寝て、夜はずっと歩いて過ごしていたと言ってたよ……」
「夜、歩いて……ですか……?」
雄太が訊くと、直樹は悲しそうな顔で雄太を見た。
「そう…… 。日暮れから夜明けまで……ね。毎日毎日何キロも……。警官に見付かれば家に連れ戻されると思ったから、パトカーを見たら隠れたと言ってた……。警察官どころか、誰にも助けを求める事もなく、ポケットにあった数百円で、たまに菓子パンを買って少しずつ食べていたと言ってたよ……。君は、そんな生活が続けられると思うかい……?」
「そんなの……無理ですよ……。まともに食べもしないで、毎日何キロも歩いて過ごすなんて……」
そう言って、雄太は ギュッと目を瞑った。




