829話
子供達は他の馬も見たいと雄太に言って、春香をカームのところに残し、放牧地を歩いて行った。
「カームみたいに大人しい馬ばかりじゃないからな? 無闇矢鱈手を出しちゃ駄目だからな?」
「ハイ、パパ」
「ワカッタ〜」
「アイ」
手を繋ぎ柵から離れて歩く凱央と悠助と、抱っこされている俊洋は近寄ってくる馬を興味津々で見ていた。
「パッパ、ンマタン」
「可愛いな」
「ン。カーイイ」
こちらに興味がなさそうな馬だったり、興味深そうに近寄ってきてこちらを眺めている馬だったり様々だった。
春香はカームと並んで雄太達のほうを見ていたが、カームの鼻面が手に触れて向き合った。
「カーム。あなたと出会った時はあの子達はいなかったね。今は三人も子供がいるなんて、時間が過ぎるのはあっという間だね」
スリスリと鼻面を手に寄せてくるのはあの頃と変わらない。だが、種牡馬になり馬体は一回り大きくなっていた。
雄太からは種付けが終わって少し痩せたそうだと聞いてはいたが、競走馬であった頃よりはふっくらとしている。
「これからも、北海道に来られる機会があったら会いにくるからね。待っててね」
しょっちゅう北海道に来られる訳じゃないのは春香は分かってる。きっとカームも分かっているんじゃないかと春香は思っていた。
鼻筋も鼻面も撫でて、首筋にも触れてやる。いつまでも撫でてやりたいと思ってしまっていた。
牧場の空気に吹き渡る風は草の匂いと馬の匂いがする。
(気持ち良いなぁ……。トレセンだと馬の匂いと藁の匂いとかがメインだもんな。自然な青草の匂い好きだな)
「パパ。アノオウマサン、オッキイネ」
「パーパ。アノンマタンニノッタコトアル?」
凱央達は興味津々で馬を眺めては色々と話してくる。俊洋は目がキラキラで口がポカンと開いたままだ。
(うちの子達は本当に馬が好きなんだな。馬以外の動物も見せたりしてるのになぁ……)
初めて春香が馬を間近に見た時も嬉しそうだったと思い出す。
(うん。やっぱり春香の子だな)
そして、ふと時間が気になり腕時計を見た。
「そろそろママとカームのところに戻ろうか」
「ハ〜イ」
「ウン」
「アイ」
次に行く所に時間を伝えてあるから、ずっといる訳にはいかないのだ。雄太達は春香のところに向かって歩き出した。
「パパ、ママッテオイシイノ?」
「え? ママが美味しい……?」
凱央の言葉に雄太は春香を見た。
「は……春香……。カーム……」
視線の先ではカームが春香を舐めまくっていた。その状態を見て、悠助と俊洋はキョトンとして見ている。
そして、近づいてきた牧場長も牧場スタッフ達もゲラゲラ笑っている。
「カーム、お前……。本当、相変わらずだなぁ……」
「あ、雄太くん」
舐められながら、雄太に気づいた春香は笑っている。
「何年経っても春香を舐めるのは変わらないんだな、カーム……」
「あはは……」
片手で俊洋を抱えた雄太が 近づいてもカームは春香を舐めるのをやめなかった。
「まったく、もう」
「ママ。ペロペロサレテルノタノシイ?」
呆れる雄太と真面目な顔をした凱央に春香は苦笑いを浮かべている。
その後、凱央達にトイレを借り、春香は洗面所で顔を洗わせてもらった。
スタッフに連れられ、カームが馬房のほうに戻ってきた。
「カーム」
馬房の前で待っていた春香にカームは寄り添ってくる。頭を下げたカームの首筋を抱き締めると、日向の匂いがした。
「カーム、会えて良かった。絶対、またくるからね。元気でいてね。約束だよ」
カームも別れの時間が来た事を分かっているのだろう。名残惜しそうに顔を春香の体に寄せて小さく鳴いた。
「牧場長さん、カームに会わせていただいて本当にありがとうございました」
「いやいや。こちらこそ、たくさんの人参や果物や青草を送っていただいて助かっています」
「妻の気持ちですから」
雄太と牧場長は固く握手をした。
カームは首を伸ばして、いつまでも手を振る春香を見えなくなるまで見送っていた。




