80話
「い……市村さん……? 」
雄太が呼び掛けても、春香はただ黙ってポロポロと涙を流し続けていた。
「その……泣かないでください……。迷惑でしたか……? すみません…… 。でも、俺……市村さんが好きです……」
雄太がもう一度 好きだと伝えると、春香はゆっくりと立ち上がった。
「……ごめんなさい……。ごめんなさい、鷹羽さん……。迷惑とかじゃ……ないんです……」
春香が首を横に振ると涙の粒が飛び散る。
「でも、ごめんなさい……。私……私、お付き合いは……出来ないんです……。ごめん……なさい……」
春香は震える声でそう告げると、頭を下げ走り去った。
思わずベンチから立ち上がった雄太だったが、春香の大粒の涙の意味が分からず、引き止める言葉が出なかった。
(市村さん……)
呆然と春香を見送っていると、駐車場側の木陰から
「ハァ……」
と大きな溜め息が聞こえた。
(え……? )
雄太が振り向くと、木陰から直樹が頭を掻きながら現れた。
「直樹先生……。どうして……?」
直樹はゆっくりとベンチに近付き座ると
「悪い。立ち聞きするつもりはなかったんだけど……ね……」
と苦笑いを浮べながら謝った。
「あ……いえ……」
雄太は 力なく答えた。
(春が鷹羽くんに好意を持っているとは思っていたが、まさか鷹羽くんも……だとはな……)
『鷹羽』と言う珍しい苗字に覚えがあった直樹は、里美に内緒でコッソリ調べた。
(成る程……。鷹羽くんは、有名な元騎手の息子……か……。何となく聞き覚えがあったのは間違ってなかったな…… 。現在は調教師とは言え……。春と鷹羽くんとは、あまりにも住む世界が違い過ぎる……よな……)
春香の性格からして、自ら告白する事はないだろうと思っていた。
だから、春香が雄太への気持ちを恋だと自覚しても、想いを告げずに終わる恋だと思っていた。
いつか、時が思い出にしてくれるのだろうと思っていた。
(鷹羽くんが……春を……なぁ……)
若い男の子にありがちな、年上の女性に憧れているだけ……。
施術をしてもらい足を治してもらった事で、予定通りデビューが出来たと言う感謝の気持ちを恋だと勘違いしてるだけ……。
(頼む……。春は……今まで散々傷付いて来たんだ……。これ以上、春を傷付けないでくれ……)
雄太の気持ちが、一時の気の迷いであって欲しいとさえ思った直樹の耳に届いたのは雄太の真剣な声。
「その……泣かないでください……。迷惑でしたか……? すみません……。でも、俺……市村さんが好きです……」
(鷹羽くんは……本気……なのか……。仕方ない……。俺が勝手に身の上話をしたと知ったら、春は怒るだろうな…… 。けど、俺はやっと自然に笑えるようになった春に『住む世界が違う』とか、自分の力でも周りがどうにかしてやれる事じゃない恋愛をして傷付く姿を見たくないんだ……。どうにもならないと絶望して泣く春を見たくないんだ……。俺が初恋の邪魔したと知ったら、春がどれだけ怒るのか分からないけど……。里美にも怒られるかも知れないけど……。ごめんな、春……。けど、血の繫がりはなくても、春は俺と里美の大事な大事な娘なんだ……)
直樹は、涙を流しながら走り去った春香の背中を見詰めながら謝った。
(大きな……大きな賭け……だな……。鷹羽くんがどんな風に思い、どう言う選択をするのか……。俺には 分からないけど……)
直樹は、父親としての決意を固め 一歩 踏み出した。




