814話
5月14日(日曜日)
東京競馬場 11R 第45回安田記念 G1 15:35発走 芝1600m
空は灰色の雲に覆われて、今にも雨が降りそうだ。
(降らなきゃ良いけど……)
ゲートの手前で輪乗りをしながら、雄太は空を見上げた。視線を下ろすと鈴掛と梅野の姿が見えた。そして、その向こうには雄太の天敵とも言える小芝の姿があった。
雄太がデビューし関東のレースに騎乗依頼をもらえるようになった頃から、小芝は雄太に対して何かと嫌がらせをしてきた。
雄太が複数のG1を獲るようになった頃からはあからさまな嫌がらせはなくなったが、インタビューなどでライバルと言われると小芝がムッとした顔をするのは今でもある。
(フゥ……。落ち着こう。今はレースに集中、集中)
馬の鬣を撫でてやり自身の気持ちを落ち着けている。
雄太の自宅リビングでは、春香と子供達がポンポンを手にテレビの前にいた。
「パパ、ガンバレ。パパ、ガンバレ」
「パーパ、バンバエェ〜」
「ンパァ〜」
画面に雄太が映ると大騒ぎになるのはいつもの事だ。
高らかにファンファーレが鳴り響き、ゆっくりとゲートに入っていく馬達に春香は無事の完走を祈っていた。
(雄太くん、頑張って。無事に帰ってきてね。どの子も無事で完走してね)
ガシャンっ‼
ゲートが開いて1600メートルの熱い戦いが始まった。スタートから道中、雄太は中団につけていた。
馬込みの中で、雄太は前が開くのをずっと待っているように見えている。
(チャンスはあるよね。雄太くんなら大丈夫。私は信じてる)
最後の4コーナーを周り、馬群がバラけると雄太は少しずつ順位を上げ始めた。
「雄太くんっ‼ 頑張ってっ‼」
「パパっ‼ パパっ‼」
「パーパ、パーパ」
「ンパァ〜」
雄太が前に前にと行こうとしているところに、追い縋っているのは梅野で、後方からグングンと順位を上げてきたのは鈴掛だった。
雄太、鈴掛、梅野が直線で競り合いを繰り広げている。観客席から大歓声が湧く。
途中で三頭の叩き合いから雄太と鈴掛が抜け出し、二頭が並んでゴール板を駆け抜けた。
(……どっち……? 分からない……。雄太くんであって欲しいけど……)
実況のアナウンサーも『これは分からない』と言っていた。
ゆっくりとスピードを落としながら、雄太と鈴掛は並んで荒い息のまま話し始めた。
「ハァ……ハァ……。雄太……どっちか……分かったか……?」
「ハァ……ハァ……。いえ……全く……」
「ああ……。俺にも……全く分からん……」
大抵、どちらが先着か分かるのだが、今回は微妙過ぎて二人とも判断出来ずにいた。
深呼吸をして息を整えながら、馬の首筋をポンポンと叩いて労ってやる。
「よしよし。よく頑張ったな」
馬はブルブルと首を振って、雄太と同じように荒い息をしていた。
(勝った……よな……? 違うか……? どうなんだろう……)
二人ともがそう考えていた。掲示板には写真判定の『写』の文字が点っている。
他の馬は既に引き上げていて、ターフには雄太と鈴掛だけになっていた。
(まだなのか……?)
(長いな……)
その時、観客席から大歓声が湧いた。
雄太と鈴掛が掲示板のほうに視線を移すと、確定の『確』の文字と雄太の馬番号が一番上にあった。
「あ〜。負けだったか。おめでとう、雄太」
「ありがとうございます」
鈴掛が手を伸ばして、それに応えた雄太の手を握り馬上でガッチリと握手を交わす。
そんな二人の姿に、観客席は大いに盛り上がっていた。
それは雄太宅のリビングもだった。
「キャア〜。雄太くんが勝ったぁ〜」
「パパ、イチバン? イチバンナッタ?」
「そうだよ。パパ、優勝したよ」
「ヤッチャア〜」
凱央と悠助はピョンピョンと跳ねまわり、写真判定が長かった所為でソファーで春香にもたれウトウトしていた俊洋は、凱央達の声で起きたようでキョトンとした顔をしていた。
(おめでとう、雄太くん。凄かったね)
春香は接戦を征した雄太に心を込めて拍手を贈った。




