79話
(マ……マジ……ヤバい……。可愛すぎて……め……目眩がしそうだ……)
「サインじゃなくて申し訳ないですけど、約束しましたもんね 」
雄太は必死で大人ぶった話し方をしてみるが、心臓は相変わらずバクバクとしていた。
(と……とりあえず落ち着け、俺…… 。市村さんに、ガキだなんて思われたくないだろ、俺……。梅野さんみたいな 余裕のある大人の男って感じにしないと恥ずかしいだろ……)
春香に分からないように深呼吸をして、雄太は春香の差し出したマジックと色紙を受け取った。
そして、ビニール袋から色紙を出して、ベンチから立ち上がり、そこに 色紙を置いた。
(書き間違わないように……。丁寧に……)
〘 鷹羽 雄太 初勝利 3月7日 阪神3R 〙
緊張しながら書き終わり、フゥと息を吐いて春香を見ると、まるで 子供のように目をキラキラと輝かせていた。
(ちょっ……っ‼ そんな目で見られたらっ‼ )
雄太は顔が赤くなる気がしながら、マジックと色紙を春香に手渡した。
「市村さん……。本当に、こんなので良かったんですか? 」
雄太が心配になりながら訊ねた。
サインではなく、ただ名前を書いてあるだけの色紙。
(結局、格好良いサイン考えらんなかったもんな……)
何度考えても納得がいくサインは考え付かなかった事を思い出してしまうと、溜め息が出そうになった。
それなのに、春香はマジックをコートのポケットに入れ、色紙を大切そうにビニール袋に戻しニコニコと眺めている。
「これで良いんです。これが良いんです。何が書いてあるか分からないサインより、ずっと ずっと良いです。ありがとうございます、鷹羽さん。私の一生の宝物です。大切にしますね 」
「一生のって、大袈裟ですよ 」
雄太は 跳び上がりたいくらいの嬉しさを隠しながら言って、再び春香の隣に腰掛けた。
「そんな事ないです。嬉しいなぁ〜 」
春香の無邪気な笑顔を見ていると、雄太も自然と笑顔になる。
(この笑顔を誰より近くで見ていたい……。市村さんを……誰にも渡したくない……。俺の傍に居て欲しい……。俺の隣に居て欲しい……。ずっと 一緒に居たい……)
あの日、胸に湧き上がった感情が 雄太の胸に広がっていく。
『まだ 早い 』
そう思っていたはずなのに、溢れ出した気持ちは止める事が出来なかった。
「あの……市村さん……」
雄太の真剣な声に、春香は 眺めていた色紙を膝に置いて雄太を見た。
そこには、馬に乗っている時のように真剣な目をした雄太が居た。
(鷹羽さん……? )
「あの……市村さんに恋人とか……好きな人とか……居ますか……? 」
「え? 私には、そう言う人は居ませんけど……?」
春香は、一瞬何を言われているか分からないといった顔になりながらも、素直に答えた。
(恋人も……好きな人も居ないんだ……。よしっ‼ )
雄太は、ギュッと膝の上で拳を握り締めた。
「その……俺は、市村さんより三歳も年下で……まだ子供だって思われるかも知れませんけど……。俺、市村さんの事が好きです。俺で……俺で良かったら……俺で良かったら付き合ってください」
雄太は目を瞑って、所々途切れながらも自分の想いを伝えた。
風が吹いて周りの木々がザザーッと音をたてる。
手水舎から滴る水音が聞こえる。
それなのに、雄太の告白に対して春香の返答はなかった。
しばらく待ってみても、春香が何も言わないので、雄太はゆっくりと目を開けて春香を見た。
(え……? )
そこには、目を見開いたままポロポロと大粒の涙を流している春香がいた。




