807話
2月20日
凱央を幼稚園へ送っていった後、リビングで悠助と俊洋と遊んでやっている春香がふと暗い表情をする時がある事に気がついた。
(ん? 何だ、あの表情は……。何かあったのか……?)
一見すると楽しそうに遊んでいるのだが、フッと息を吐いては笑いが消え、遠くを見るような仕草を見せていたりしていた。
子供達が春香のほうを向くと、それまでの暗い表情が嘘のように満面の笑みを浮かべた。
(……あんな顔をするのは……)
雄太には憶えがあった。
それは、まだ春香と付き合う前だ。春香が実親からの金の無心や人を騙すような行為で悩んでいた頃に見せていた表情だった。
(何度か弁護士から連絡があったけど、春香はあんな顔をした事はなかったもんな……。だとしたら、他の事なんだろうか……?)
子供達に聞かせる話ではないかと思い、雄太は夜になり子供達が寝静まってから春香と話す事にした。
「雄太くん、まだ寝なくても良いの?」
「あのさ、ちょっと話があるんだけど」
「え? あ、うん」
雄太は春香の手を取ってリビングのソファーに座らせる。
「正直に言ってくれよな?」
「うん」
「何かあっただろ?」
「あ……」
春香はフイッと雄太から目を逸らし俯いた。
「何があったんだ? 俺には言えない事か?」
「……あの……ね……」
春香は太ももの上で握り締めていた拳に力を込めた。雄太は急かさずに春香の言葉を待った。
「……あの人達ね……神戸の叔母さんのお世話になってたみたいなの……」
春香が誰の事を言っているのか、雄太は分かった。
(あの人達って……、あのクソ親かっ⁉)
今思い出しても怒りに体が震えそうになる。
「……それでね。叔母さんの家の離れに住んでたらしいんだけど……。この前の地震で……潰れた家の下敷きになって……。やっと、瓦礫の撤去が終わって……身元確認が済んだって連絡がきて……」
「分かった。もう何も言わなくても良いよ」
「……ううん。聞いて欲しいの」
春香は震える声で言った。そして、顔を上げて雄太をジッと見詰めた。涙を浮かべてはいるが、強い意思を感じさせる目に雄太は黙って頷くしかなかった。
「……もう会いたいとか……お金を援助して欲しいとか言われなくて良いんだって思ったらホッとして……。雄太くんに……迷惑をかける事がなくなったんだって思ったら……」
(春香……)
春香の目から大粒の涙が溢れて頬を伝った。
「私、冷たいよね……。酷い人間だよね……。悲しいって思うより、安心したんだよ……。人の死を……悲しめなかったんだ……」
雄太はそっと春香を抱き締めた。
「春香は酷い人間でも冷たい人間でもない。春香は優しくて、思い遣りがあって、温かい人間だ。俺は知ってる。俺の大好きな春香が酷い人間な訳はないだろ?」
「雄太……くん……」
「こんな事を言うべきじゃないっていうのは分かってる。でも、ようやく本当に春香は自由になれたんだ。解放されたんだ。春香が悲しめないっていうのを罪だと思うなら、俺も一緒に背負ってやるから」
春香は止めどなく溢れる涙を拭う事なく、雄太の体をグッと抱き締め泣いていた。
雄太は震える小さな体をしっかりと胸に抱いて、落ち着くまで泣かせてやろうと思った。
(人が死んだら悲しいって思うのが当たり前だって思ってた……。死んでいい人なんていないってのは綺麗事なんだ……。春香を虐待して、罪を犯した彼奴等が死んだって、俺は悲しまない)
一度も会う事がなく、ニュースで見ただけの春香の実親。春香は弁護士が預かってきた手紙でさえ嫌悪していた。
(俺は……。彼奴等が春香にしてきた事を許さない。死んだって許さない。一度も謝罪もしてないし、反省もしてない彼奴等を許さない……)
被災地の人々に何かしたいと思っていた雄太は、その中に春香の実親がいたなんて思っていなかった。春香も想像もしていなかっただろう。
(ただ……。春香をこの世に生まれさせてくれた事だけは……感謝してる……)
長きにわたり最愛の人を苦しませてきた足枷の実親の冥福を祈った。




