806話
2月19日(日曜日)
土曜日に東京で騎乗があった雄太は、レース終わりに小倉へと移動していた。
(慌ただしいけど、これが俺の選んだ仕事なんだよなぁ……)
調整ルームには時間の期限がある。その時間に間に合わないと騎乗停止などの制裁があるから本当に慌ただしいのだ。
実際に新幹線や飛行機の乗り間違えで時間内に到着出来ずに泣く泣く乗り替わりになった例も少なくない。
(一鞍でも多く乗りたい。一鞍でも多く勝ちたい。調教師と馬主からの信頼を得ないと、依頼が減るからな。東京優駿を獲る為にも……)
騎乗依頼がもらえなければ仕事にならない。それは、厩舎所属であっても変わりはないが、フリーであればなおさらだ。
春香は雄太の収入が減ったりする事があれば仕事を本格的に再開して、雄太と子供達との生活を支えると言っている。
(子供達が独り立ちしたら、いずれ仕事を再開するかも知れないけど今は子育てに専念して欲しい……。春香を働かせたくない訳じゃないけど)
ふと被災地の事が頭を過った。
(俺が出来る支援って何だろう……)
何かしたいと思ったが、明日のレースに集中しようと思い直した。
G3小倉大賞典には、純也も出場していた。
「あぁ〜っ‼ もう少しだったのになっ‼」
「ふふ〜ん。そう簡単には勝たせないっての」
レースは雄太と純也が最後まで競り合った。最後は半馬身差で雄太が勝ったが、純也の馬は人気がなかったので頑張ったと雄太は思った。
風呂に入り汗を流しながらも、純也は悔しそうに話す。
「くぅ〜。今年こそG1獲って、リーディングも獲ってやるからなっ‼」
「へへ〜ん。そうだなぁ〜。よし、ソルがリーディング一位になったら、近江牛を満足するまで食わせてやるぞ」
「え? マジっ⁉」
体中石鹸の泡だらけの状態で純也は雄太にグイッと迫る。
「マジ」
「よしっ‼ のったっ‼ 後でなしとか言うなよ? 約束だかんな?」
「男に二言はない」
「よっしゃっ‼ 俄然ヤル気が出てきたぜっ‼」
純也はウキウキと楽しそうに笑いながらゴシゴシと体を擦る。
純也が泡を飛ばしながら体を洗っているのを見て、雄太はゲラゲラと笑っていた。
(やっぱりソルはソルだな。肉につられるなんて)
ライバルは多いほうが良い。切磋琢磨していけるほうが良い。そんな風に雄太が考えているのに、純也はウキウキとしていた。
「えっとな。分厚いステーキだろ? 肉寿司だろ? ローストビーフとユッケもな。あ、すき焼きは忘れちゃなんねぇからな?」
「成る程。全部まとめてドンとこいだ」
「やりぃ〜」
その会話を聞いていた後輩達が、おずおずと雄太に近寄ってきた。
「あの……鷹羽さん。俺が今年中に重賞獲れたら、何かご馳走してもらえたりしますか……?」
「俺もです」
「俺も、重賞獲れたら飯行きたいんです」
「僕は、鷹羽さんの家に行ってみたいです。奥さんの料理が絶品だって聞いてて」
雄太は目を丸くした後、ニッと笑った。
後輩達にしてみれば、雄太はベテランではないが、いくつもG1を獲っていている先輩であり、気安く話したり食事に行ってみたいと言っても良いのかと感じだったようだ。
「そっか。良いぞ。だから頑張れ」
後輩達の顔がパァーっと輝く。その顔は、春香や子供達が好物のイチゴやアイスを目の前にした時のようで笑ってしまった。
「やったぁ〜」
「俺、頑張りますっ‼」
「ヤル気出たぁ〜」
「やるぞぉ〜」
「鷹羽さんと飯だぁ〜」
真っ裸の若い男の子達が風呂場でワチャワチャとはしゃいでいる様子に、雄太も純也も笑いが込み上げる。
「ソル、あいつらメチャヤル気出してるぞ?」
「後輩には負けねぇ〜。肉がかかってんだからな」
「肉の為ならヤル気出すってか?」
「たりめぇ〜だっ‼」
なんにせよ、皆がヤル気満々だというのは良い事だと雄太は思った。
「あ、ヤベ。雄太、最終に遅れるぞ」
「おう」
雄太と純也は慌てて風呂から出ると、猛ダッシュで着替えて部屋に荷物を取りに駆け出していった。




