802話
春香は子供達にホットミルクを入れてやった。地震への恐怖からか、食欲がないと言ったからだ。
「フーフーしながら、ゆっくり飲むのよ?」
「ウン。ママ、アリガトウ」
「アイ」
子供達はダイニングにいさせて、理保はテレビで地震の情報に耳を傾けていた。
「お義母さん、詳しい事分かりました?」
「震源は神戸市か淡路島って事らしいわ」
「そうですか。あんまり地震があるようなイメージなかったですけど……」
「そうね。私、震度7なんて初めて聞いたわ」
テレビの中では、次々と被害の情報が伝えられ、無残な神戸の街が映し出されている。
祖母の墓参りをする為に訪れた時に寄った店の場所は建物が崩れ、どこにあったかも分からなくなっていた。
飛び交うヘリコプターとパトカーや消防のサイレンがただ事ではないと主張している。
「あらあら……。お墓まで……」
朝日が出ているはずなのに、土埃の所為で薄っすらとしか射さない朝の光の中で立派な墓石が横倒しになっているのが映った。
「重いはずの墓石が無残に倒れてしまうなんて、こことは比較にならないぐらいの揺れだったのね」
「はい……。これからどうなるんでしょうね……」
「そうね……。元に戻るまで何年かかるのかしら……」
春香は何も言えずに黙り込んだ。
(おばあちゃんのお墓、大丈夫かなぁ……)
今、どうやっても神戸に行く事は出来ないとは思っている。だが、気になって気になって仕方なかった。
「おお〜、よしよし。大丈夫だからな?」
「んん……。やっぱ飼い葉残してるな……」
各厩舎では一生懸命厩務員達が馬を落ち着かせようとしていた。
雄太は慎一郎の厩舎だけでなく、世話になっている厩舎を順に回っていた。騎手より出勤時間が早い厩務員達を、短時間でも家に戻らせてやりたおと思ったのだ。
(家が潰れたりとかはないとは思うけど、小さな子供がいたりとか、年老いた父母がいたら……)
電話でも良いだろうという人もいるだろう。だが、混雑していると言うアナウンスが流れるばかりで繋がらないのだ。
(震源地でもないけど、あれだけ揺れたら心配になって電話をしようとするのは当たり前だもんな)
厩舎に設置してあるテレビは被災地の惨状を伝えている。
「鷹羽くん、ありがとうな」
「江川調教師、やっぱり落ち着かない馬が多いですね」
「ああ。俺もこの歳になるまで、あんなに揺れを経験したのは初めてだったよ」
「はい……。阪神、大丈夫ですかね?」
週末、阪神競馬場でレースが開催されるのだ。
「まだ何とも……」
「ですよね……。滋賀でも電話が繋がりにくいんだから、あっちは……」
江川厩舎のテレビもつけっぱなしで、兵庫や大阪に実家がある厩務員が何度もチラチラと見ていた。
人々の生活に直結する鉄道や道路、ライフラインの情報が最優先で、競馬場の被害の事は何も聞こえてこない。
(仕方ないよな……。人々の生活が脅かされてるのに、娯楽の事を報道になんてしないんだから……)
雄太が深い溜め息を吐くと、江川が眉根を寄せて言いにくそうに訊ねた。
「もしかして、鷹羽くんの身内や知り合い、友人が神戸に住んでたりするのか?」
「え? あ、違います。そうじゃなくて……」
「そうか?」
「調教師のところは大丈夫だったんですか?」
江川の家は、江川が騎手として活躍していた頃に建てたもので、そんなに新しい家屋ではない。
「大丈夫だ。多少物が倒れたりしたぐらいだ。妻が大切にしていた花瓶が割れたとは聞いたがな」
「花瓶が……? お怪我は?」
「しとらん、しとらん」
苦笑いを浮かべて、江川は手を左右に振った。そして、もう一度テレビのほうを向いた。
「こんな光景を見るなんてな……」
「俺もです。教科書の戦争の写真とか、関東大震災の写真みたいで……」
「ああ……。さてと、俺達は俺達に出来る事をやろう」
「そうですね」
今やれる事を精一杯やる。それしか出来ないもどかしさが胸をキリキリと締め付ける。
それでも前を向くしかないのだと思い、雄太は再び慎一郎厩舎へと向かった。




