77話
『市村さん、仕事終わりなんですよね? 早く夕飯食べて休んでくださいね?』
雄太が通話を終えようとしているのを感じ、春香は 少し淋しく思った。
だが、雄太も疲れているだろうし、早く休んで欲しいとも思った。
(あれ? 私、何で淋しいなんて思うんだろ……?)
「鷹羽さんもです。お疲れ様でした。良い報告が聞けて嬉しかったです。じゃあ、明日10時に店の近くの神社で会いましょう」
『分かりました。10時に神社ですね』
「楽しみにしてます。じゃあ、おや…… あっ‼ じゃなくて」
春香が焦ったように言うと、雄太は
『市村さん? どうかしたんですか?』
と訊いた。
「ごめんなさい。言い忘れてました。無事レースが終わって良かったです」
春香の言葉を聞いて、雄太は自分の無事を祈っていてくれたのだと思うと嬉しくなった。
(市村さんは、本当に優しい……。俺の無事を喜んでくれるんだ……。騎手が 危険な仕事だって、分かってくれてるんだ……)
『はい。無事、怪我もなく走り終えました。ありがとう、市村さん。じゃあ、また明日。おやすみなさい』
「おやすみなさい。鷹羽さん」
春香は、雄太が受話器を置いたのを確認して、そっと受話器を置いた。
そして、テーブルの上に置いていた色紙に目をやった。
(おかしいな……。私、何でこんなに待ち遠しかったんだろう……? 待ってたのは、たった一週間だったのにな……)
どう考えてみても、全く分からなかった。
(変な私……。とりあえず、早く用事を済ませようっと。明日、晴れたら良いなぁ〜)
春香は、ウキウキとしながら夕飯を作り始めた。
✤✤✤
翌3月9日月曜日
スッキリと晴れた空と同じく、スッキリとした気分で雄太は目を覚ました。
昨夜の電話を思い出すと自然に顔が緩む。
(市村さんに会える……。初サイン…… って言って良いか分からないけどサインもらってもらえるんだ……)
軽く朝食を済ませると、雄太は鈴掛に『用事があるので、店には直接行きます』と、電話をしてバスで草津へ向かった
(ん〜。おかしくない? 大丈夫?)
春香は何度も何度も鏡を見ていた。
前髪を直し、お気に入りのリボンを整える。
そして 次の瞬間には
(私、バカなの……? デートでもないのに……)
と落ち込んだ。
雄太に会える。
昨日も言ったが初勝利のお祝いを直接言える。
サインをもらえる。
ただそれだけなはずなのに、胸はドキドキと高鳴っていた。




