751話
五月の頭から雄太宅で一番話題は夏競馬の遠征の事だ。
ほぼ毎日のように、あれこれと家族揃っての北海道行きの話しをしていた。
「そろそろホテルを決めて予約をしなきゃだな。俺は二週間ぐらいって思ってるんだけど春香は?」
「私もそれぐらいが良いな」
「カームとアルがいるけい養地は違うから、一日で行くより分けたほうが良いな」
地図を見ても北海道は広大で、一日では周りきれない。一度ぐらい北海道一周をしてみたいと雄太も思っている。
「だね。他にも前に行けなかった場所にも行きたいな」
「俺もだ。子供達に自然をたっぷり味あわせてやりたいな」
「うん。牛がいる牧場にも行きたいな」
リビングで仲良く遊んでいる子供達をチラリと見る。凱央は悠助を遊んでやったり、トイレに連れていってやったりと良いお兄ちゃんっぷりを発揮している。
「幼稚園って、本当に良い影響あるんだね」
「凱央が成長したおかげで、悠助も成長してるしな」
凱央が幼稚園に行くたびに泣きべそをかいていた悠助も、泣かずに笑顔で手を振ってお見送りが出来るようになっていた。
「うん。えっと、凱央の夏休みが始まるのが七月の最終週だし、二十五日からにしない?」
「そうだな。じゃあ」
その時、電話が鳴った。雄太が子機を取り通話ボタンを押す。
電話をしてきたのは慎一郎だった。
「もしもし」
『雄太、すまん』
「え? 父さん? 電話なんて珍し……」
『今、救急車を呼んだからついでなんだ』
「救急車っ⁉ 今どこっ⁉」
雄太の救急車という言葉を聞いて春香が椅子から立ち上がった。
『家だ。理保が足を痛めたんだ』
「母さんが? 分かった。直ぐ行く」
通話を切った雄太が春香のほうを見ると、すでに春香は窓を開きサンダルを履いて慎一郎宅へと駆けていた。
「お義父さん、お義母さんはっ‼」
「は……春香さん……っ⁉」
驚いたのは慎一郎だ。雄太との通話を終えた直後に春香が飛び込んで来たのだから。
「あ……台所の……」
「分かりました」
リビングを飛び出し、春香はキッチンへと向かった。
「お義母さん」
「春香さん……」
「動かないでください。少し失礼しますね」
春香はキッチンの床に倒れている理保のスカートを少し捲った。理保の太ももはすでに腫れ上がっていた。
「この腫れかた……。骨折してるかも知れない……」
「やはり骨折かね?」
春香の後を追ってきた慎一郎が心配顔で覗き込む。理保は痛みから脂汗をかいている。
「はい。確実な事は言えないですが恐らく。お義父さん、救急車で正解です。変に動かしたら骨がズレてしまうので」
「そ……そうか」
「えっと……」
キョロキョロと辺りを見回した春香は、キッチンの隅に束ねてあった新聞紙を丸めて棒状にして理保の太ももにあてがい、テーブルに置いてあったエプロンでしっかりと縛った。
「お義母さん、他に痛むところはないですか?」
「ええ……。左の……肘の辺りが……」
春香は理保の左肘を見る。擦り傷はあるが腫れてはいなかった。
「こっちは骨折はしていないと思います。傷口を拭きますね」
春香は立ち上がりタオルを絞ると傷口を拭った。微かに出血はしているが、大丈夫そうだと春香は息を吐いた。
その時、救急車のサイレンが聞こえた。慎一郎は門扉を開けにキッチンから出ていき、救急隊員を伴って戻ってきた。
ストレッチャーに乗せられた理保は春香を見た。
「ありがとう……、春香さん……」
「春香さん、後で連絡をするから」
「はい」
搬送される理保を玄関まで見送り、涙が出そうになるのを必死で堪えていると、背中に温かいものを感じた。
振り返ると雄太が俊洋を抱いて寄り添ってくれていた。
「え? あ、雄太くん……。いつからいたの?」
「春香が足に添え木してる時から見てたけど? 気がついてなかった?」
春香は深く頷いた。
理保の事で夢中だったから、雄太が子供達を連れてきていたのに全く気付かなかった。雄太の足元で子供達が不安気に春香を見ていた。
春香は子供達を抱き締めて、理保の怪我が酷くない事を祈った。




