733話
病院に着いてしばらくすると、春香の陣痛は一気に進んだ。雄太は痛みがくるたびに、春香の腰を擦っている。
「うっ……くぅ……」
「この辺か?」
「うん……。ありがとう……」
頷いた春香がふぅと息を吐いてタオルで顔を拭った。
(こんなに苦しそうなのを二度も経験してたんだ……。仕事だったとは言え、傍にいてやれなかったんだよな。それでも、笑って出迎えてくれたんだ……)
陣痛がくるたびに汗を滲ませ、体を強張らせている春香に込み上げる愛しさと、腰を擦るだけしか出来ない自分への歯痒さで胸がいっぱいになった。
凱央と悠助は大人しく隅に置いてあるソファーのところで遊んでいるのだが、陣痛がくるたびに苦しそうな春香を見て、泣きそうな顔をしてベッドに近寄ってくる。
「ママ、イタイイタイ?」
「マーマァ……」
「大丈夫だよ。赤ちゃんが、お兄ちゃん達に会いたいよって言ってるの。ママ頑張るからね」
「ウン。ママ、ガンバレ」
「マーマー、バンバエ」
手を伸ばして頭を撫でてやると、二人は春香の手を握る。
その時、病室の扉がノックされ、慎一郎達が顔を出した。
「あ、お義父さん。お義母さん」
「春香さん、昼過ぎには陣痛がきたって聞いたんだが……」
「もう着替えてるのね」
返事をしようとした春香だが、また痛みがきて言葉を発する事が出来なくなった。
雄太が無言で腰を擦りだし、春香に代わって里美が答える。
「今の感じだと夜までには産まれると思いますよ」
「そうですか……。やはり三人目だと早そうですな」
「春香さん。鬼まんじゅう作ってきたのよ。お腹が減ったら食べてね?」
理保はさつまいもの入った鬼まんじゅうが入ったタッパーをテーブルに置いた。陣痛が収まった春香は嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。お義母さんの鬼まんじゅう好きだから嬉しいです」
「バァバ、ボクモタベル〜」
「バァー、チャエユ」
理保は、春香の陣痛が始まったから病院に行くと里美から連絡をもらってから、慎一郎が帰ってくるまでの間に子供達も食べられる物をと作っていたのだ。
まだほんのりと温かい鬼まんじゅうを食べ、雄太も少し気分が落ち着いた。
(俺、母さんに連絡するの忘れてた……)
実際は三人目ではあるが、凱央達の時は現場にいなかったから、雄太にとって初めての経験だ。
春香を病院へ連れていく準備をテキパキとしていた直樹。理保に連絡を入れておいてくれた里美。軽く食べられる物を持ってきてくれた理保。
(父さんは母さんが厩舎に電話してから、完璧に仕事を終わらせてきたんだろうな)
自分だけがあたふたしている気がして、少し恥ずかしくなった。
(しっかりしよう。俺は春香の夫で、子供達の父親なんだから)
その時、また陣痛がきた春香が小さく声を上げた。
「ンッ……‼」
「随分と間隔が短くなったわね」
里美が腕時計を確認する。雄太は体を縮める春香の腰を擦った。
「継続時間も長くなってきたし、痛みが収まったら準備室に移動したほうが良いわね」
直樹は里美の言葉に頷いて病室から出て行った。分娩室に伝えに行ってくれたのだろう。
また凱央と悠助が泣きそうな顔をする。
「凱央、悠助。ママは大丈夫よ。赤ちゃんがきてくれるまで、ジィジとバァバと一緒にいましょうね?」
「ウン……。バァバ……」
「アイ……」
慎一郎は悠助を抱き上げ頭を撫でてやり、凱央は理保に縋りつきながら春香を見ていた。
凱央は悠助が産まれる時の事を覚えているのだろうか。年齢的には全く覚えていないかも知れない。
「ママ、ガンバッチェ。ボク、オニイチャンナル」
「凱央……」
雄太が凱央を見ると、目にいっぱい涙を溜めていた。
それでもしっかりとした顔で、陣痛を耐えている春香を見詰めていた。
「ありがとう……、凱央……」
陣痛が収まり、春香はゆっくりと体を起こした。
「凱央、悠助。良い子で待っててね。お義父さん、お義母さん。子供達をお願いします」
「ああ。頑張ってな」
「いってらっしゃい」
雄太の手を借りてベッドを降りた春香はニッコリと笑った。




