72話
(うわぁ~っ‼ わ……私、今何て言ったっ⁉ 何て言っちゃったっ⁉ あ……会いたいとか……会いたいとか……私が言うセリフじゃないっ‼ バカっ‼ 私のバカっ‼)
春香は、自分の口から出た言葉に驚きパニックになった。
(どうしよう……。泣きそう……。何で、会いたいなんて言っちゃったんだろう……。そんな事、今まで思った事ない……。人に言った事もない……。何で……何で、会いたいなんて言っちゃったんだろう……)
あり得ない言葉を口にした事で、春香の心臓は全力疾走をしたかのように早くなっていた。
(もし……もし、この心臓の音が鷹羽さんに聞こえちゃったらどうしよう……)
受話器を胸に当てでもしないと聞こえる訳がないのに、春香は冷静さを欠いていた。
『ありがとう、市村さん。俺の勝利もだけど、無事を祈っていてください。俺も、施術してもらうんじゃなく、市村さんには良い報告で会いたいって思ってます』
焦る春香の耳に、雄太の明るく優しい声が届く。
(え……? 鷹羽さんも会いたいって言ってくれた……。会いたいって、普通に言って良い言葉……なの……?)
『それで、土曜日に勝っても報告出来るのは日曜日の夜になるんです。日曜日の夜の20時に電話しても良いですか?』
「はい。待ってます」
春香はドキドキする胸を左手で押さえながら答えた。
少しだけ……。
ほんの少しだけれど、光が射したような気がした。
雄太の眩しさに、目を逸らしそうになっていたけれど、その眩しさが温かさに変わって行くような……。
そんな優しく温かい一筋の光が、ゆっくりと広がって行く気がした。
『それじゃ、また日曜の夜に』
「はい。電話ありがとうございました。おやすみなさい、鷹羽さん」
『おやすみなさい、市村さん』
時間にすればほんの数分だけれど、春香は疲れが どこかへ行ってしまった気がした。
(ありがとう……鷹羽さん……。頑張ってください)
春香はそっと受話器を置いた。
「おやすみなさい、市村さん」
そう言って受話器を置くと、雄太は猛ダッシュで部屋へ戻った。
(俺……俺……スゲェードキドキしてるぞ……。し……深呼吸……深呼吸……)
スーハースーハーと、何度も何度も深呼吸を繰り返す。
(心拍数がヤバい……。ってか、俺ってこんなだっけか……? 確かに恋愛経験が豊富とは間違っても言えないけど……。女の子に電話するの初めててじゃないのに……。メチャ緊張したけど、メチャ……嬉しい……)
心臓が壊れたかと思うぐらいに鼓動が早くなっていた。
自分で自分の心臓の音が聞こえるようなくらいにドキドキしていた。
(市村さんと話せた……施術以外で……。俺の事、また応援してくれるって言ってくれた……。会いたいって言ってくれた……。俺も早く会いたい……。市村さんの笑った顔が見たい……)
ベッドにダイブして枕を抱え込む。
そして、枕元に置いている膝掛けを抱き締める。
耳に残る春香の声が、自分を優しく包み込んでくれる気がした。
優しく、そして力強く励ましてくれている気がした。
(市村さん、俺頑張ります……。一日も早く、市村さんに認めて欲しい……。一日も早く、一人前の騎手になった姿を見て欲しい……。一日も早く、G1を勝った俺を見て欲しい……。でも、無駄に焦っちゃ駄目だよな。怪我をして心配を掛けたくないからな。でも……市村さんに見て欲しいんだ、G1で一着になった所……。一緒に喜んでもらいたい……)
人に聞かれれば『デビューしたての若造が』と批判されるかも知れない。
けれど、目標は高くても良い。
そこへたどり着く力を身に付ける努力を惜しまないなら……。
前へ向かう意志と自分を見失わないなら……。




