721話
春香は、誰にも見られないように小さく溜め息を吐いた。
(アル、どうしてるかな……)
「春香、そろそろ出かけよう」
「あ、うん」
雄太は、ワインカラーのマタニティウェアを着た春香に声をかけた。
(またアルの事を考えてたんだろうな)
会わせてやりたくても、まだ痛みがあり、気が立っているアレックスに会わせる訳にはいかないのだ。春香もそれは分かっているから何も言わなかった。
「ほら、凱央。悠助。東雲のジィジとバァバに会いに行くぞ」
「アイッ‼」
「ン」
子供達は手を挙げて元気に返事した。
東雲に着くと、可愛い孫達の姿に直樹の目尻が下がりまくる。
「直樹、まだ仕事中でしょ?」
「わ……分かってるって」
挨拶を済ませた雄太は、二階の春香の部屋に行くつもりだったのだが、直樹はVIPルーム横でプレイマットを敷きはじめる。
「凱央達は良い子にしていられるんだし、ここで良いだろう?」
「え? でも、まだ営業中ですよ?」
「お父さん……」
「春が美容院に行ってる間しか凱央達を見られないのに、二階に行くとか淋しい事を言わないでくれ」
呆れた春香と里美と真顔になった雄太は、顔を見合わせた。
「もう。爺バカなんだから」
「う……」
話が理解出来ていない凱央は、テッテッテとプレイマットを敷くお手伝いをはじめた。
「ジィジ、オテツライスル」
「おお〜。凱央は可愛いな」
デレッデレの直樹に苦笑いしながら、雄太は凱央と遊びたいとジタバタする悠助を床に下ろした。
悠助はトテトテと凱央に近づいていき、雄太は手にしていたオモチャを入れたカゴをプレイマットに置いた。
「春香は行って来たら良いよ。子供達の事は心配しなくて良いから」
「うん。じゃあ、よろしくね」
春香は、東雲からすぐの美容院へと出かけた。
出産を控え、髪を切る事にした春香の到着を待っていてくれたのは、商店街にある個人経営の小さな美容院だ。
春香が直樹達の養女になった時からお世話になっている。
「こんにちは、おばさん」
「待ってたわよ、春ちゃん。あら、思ってたよりお腹ふっくらしてるわね」
「うん」
母親のような優しい目をした店主は、春香を一番奥の椅子に座らせた。
「短めで良いのよね?」
「三人目が産まれたら、今以上にシャンプーやドライヤーの時間が取れなくなりそうだから短めが良いって思って」
「ふふふ。じゃあ、また若返っちゃうわね」
「えぇ〜。私、もう27歳だよぉ〜?」
東雲に来た直後は、丸坊主に近いベリーショート中学生だった春香を知っている店主は、やはり母親の感覚なのだろう。
「春ちゃんが三人の子のお母さんになるなんてね」
「うん」
シャキシャキとリズミカルな鋏の音をBGMに話が弾む。
「はい、出来上がり。どう?」
「ありがとう。やっぱり、おばさんに切ってもらうのが好き」
「あら、嬉しい事を言ってくれるわね」
「今度来る時は産後だね」
そう言うと店主は少し淋しそうにした。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、ここもそう長く続けられないと思うのよ」
「え?」
「ほら。私も歳だし、周りのオシャレなお店には敵わないのよ」
泣きそうな顔をする春香の頭を撫でて、店主はニッコリと笑った。
「そんな顔をしないの。今直ぐって訳じゃないんだから、ね?」
「うん」
春香は、どんどん寂れていく商店街を活気づけたいなと思いながら、東雲へと戻った。
「ただいま〜。凱央、悠助。良い子にしてた?」
「マッマ、オタエリ〜。イイコシテタヨ〜」
春香の姿を見て、凱央はピョンピョンとジャンプをして喜んだ。
「ウ……ウェ〜ン」
「え? え? 悠助?」
「マーマー、ニャイ」
悠助は突然大泣きをして凱央に縋った。
「悠助、ママだよ?」
そう言っても、首を横に振って泣いている。
「初めて見るショートヘアの春香に驚いてるのよ。声はママなのにって混乱したのね」
「えぇ〜? 悠助ぇ〜、ママだってばぁ〜」
慌てる春香と凱央に縋り泣いている悠助の様子がおかしくて、雄太は忍び笑いをしながら悠助をあやしていた。




