719話
10月18日(月曜日)
凱央は、雄太の手をしっかり握って引っ張りながら、鼻息も荒く張り切って乗馬教室に向かって歩いていた。
「マッマ、アヤクアヤク」
「はいはい」
春香はベビーカーを押しながら笑っている。悠助は、凱央の様子を見て興奮が移ったのか、足に力を入れてお尻をバウンドさせていた。
「モモタンガ、マッチェルノヨ」
「ジィジもだぞ?」
「ン。ジィジト、モモタンガマッチェルヨネ」
慎一郎にポニーのモモに乗せてもらってから、時折会いには行っていたが、今日は久し振りに乗せてもらえる事になっているのだ。
「モモタン。モモタン、ボクキチャヨ〜。モモタン〜」
馬房から出た所で鞍をつけられているモモに、凱央は両手を挙げて駆け寄った。
「ジィジ〜」
「凱央、よくきたな。でも、小野寺先生にちゃんと挨拶しなきゃ駄目だぞ」
先に来て準備をしていた慎一郎の隣に立った凱央は、キリッと顔を引き締め小野寺のほうに向いた。
「ンマタンテンテェ、オネガイシマシュ」
「おはよう、凱央ちゃん」
しっかりと挨拶が出来た凱央に、小野寺の頬が緩みながら挨拶をする。
「小野寺先生、おはようございます」
「今日もよろしくお願いします」
「ああ、おはよう。良いお天気で良かったな」
挨拶をした雄太達を見て、小野寺は春香の少しふっくらとした腹に視線を移す。
「春香さん、順調なようだね」
「はい。ありがとうございます」
「ンタァ、ンタァ〜」
「悠助ちゃんも元気だな」
頭を撫でられ、悠助もフニャっと笑う。
雄太にプロテクターなどを着けてもらった凱央は、モモの頭を撫でた。
「モモタン、ヨロチクネ」
慎一郎と雄太は凱央の様子に頷いて、練習場へと向かった。初めての時よりもしっかりした凱央の姿に、春香はホッとした。
「凱央、気を抜くんじゃないぞ。しっかりと手綱を握って、前を見るんだ」
慎一郎が声をかけている。ポニーの横では、手綱を持った雄太が速足で駆けている。
その雄太の真剣な顔と、手綱を握り真剣な顔で前を見ている凱央の姿が、春香にはダブって見えた。
(凱央、雄太くんにそっくり)
ザッザッザッと蹄が地面を蹴る音がリズミカルに聞こえる。
悠助は、そんな雄太と凱央の姿を見て嬉しそうに手を叩いていた。
乗馬を終えた凱央は、ポニーから降ろしてもらいヘルメットを取ると、鼻面を撫でた。
「モモタン、アリアト。タノチカッタヨ」
その後、小野寺のほうに向くとペコリと頭を下げた。
「ンマタンテンテェ。アリアトゴジャイマシチャ」
目を丸くした小野寺は、凱央の前に膝をつくと頭を撫でた。
「楽しめて良かったな。凱央ちゃん」
「アイ。モモタン、イイコ。ボクガンバエチャ」
「そうだな。上手に乗れるようになったぞ。頑張ったな」
ニッと笑った凱央は、自分で事務所にテッテッテとヘルメットなどを持って走って行った。
「慎一郎調教師、凱央ちゃん成長しましたね。ちゃんとお礼も言えて」
「ん? そうですな。騎手になってもならなくても、礼儀は身につけておいて損にはならんと思ってるんだ。まだ四歳にもなってない子供にって言われそうだがな」
春香はベビーカーを押しながら、ニッコリと笑っている。
「そんな事はないですよ? 凱央のやりたい事を精一杯安全を考えながらやってくださってますし」
「春香さん……」
雄太は膝をついて悠助をかまいながら笑っている。
「俺も、子供達に贅沢な暮らしが当たり前の我が儘なクソガキには育って欲しくないから礼儀とか、常識はちゃんと身につけて欲しいって思ってるんだ。そりゃ、俺は競馬界以外の事を知らないけどさ」
「雄太……。そうだな」
慎一郎は二人にニッコリと笑い返しながら悠助を撫でた。
帰宅した凱央は風呂に入りながら、嬉しそうに話す。
「パッパ、アノネ。ボク、モモタンノルノタノシイ」
「そうか。凱央はモモちゃん大好きなんだな」
「ン。モモタン、ダイシュキ」
「俺もモモちゃん大好きだぞ」
今回、凱央は寝落ちする事はなかったが、いつもより早く眠った。




