716話
10月4日(月曜日)
週末10日に京都大賞典に出走するアレックスに会いに雄太一家はトレセンを訪れていた。
「アウ〜」
凱央が声をかけるとアレックスは馬房から顔を出した。凱央は一人でテッテッテと歩いて、馬房の外から声をかけている。
「アウ〜。ボクキチャヨ〜」
目一杯手を振る凱央をアレックスはジッと見ている。
そして、雄太と春香は厩舎の角で身を隠して、その様子を見ていた。
「アル、凱央の声を覚えてるんだね」
「だな。春香じゃなくても、顔を出したし」
「二人共、コソコソ隠れて何をしてるんだ?」
ヒソヒソ話しをしている雄太達の後ろから、飯塚が声をかけた。
「あ、飯塚調教師。こんにちは」
「調教師。アルが凱央の顔とか声とか覚えてるかって気になって」
「ハッハッハ。成る程な」
笑いながら、飯塚もそっと凱央の様子を覗き見る。
凱央は『馬房の前に勝手に行ってはいけない』と言う雄太の言いつけを守って、建物の外からアレックスに話しかけていた。
「アウ。ガンバッチェハシウンラヨ。オウエンシユカヤネ」
飯塚は、楽しそうに話しかけている凱央の姿に目尻が下がる。
「パッパァ〜。マッマァ〜。アウ、ナデナデシタイヨ〜」
「ははは。我慢出来なくなったようだな」
「うん」
建物の角から雄太達が姿を見せると、アレックスは凱央から視線を春香に移した。
「アル、元気そうだね。良かった」
アレックスはうんと頷いた……ように見えた。
春香はアレックスの鼻筋を撫で始め、アレックスがうっとりしているように雄太には思える。
「調教師、アルは日本語通じてますね」
「うむ。そのようだな」
春香とアレックスの姿を見ながら、雄太と飯塚は真顔で話している。ベビーカーに乗っている悠助は、アレックスに向かって懸命に手を伸ばしていた。
「悠助ちゃんもアレックスがお気に入りだな」
「ええ。父の思惑通り馬好きになってますよ」
「慎一郎調教師の思惑通り……か。アッハハハ」
雄太は悠助の乗ったベビーカーをアレックスが見える位置にとめると凱央は雄太の傍に近づいた。
「パッパ、ダッコシテ。アウ、ナデナデシタイ」
「分かった、分かった」
春香がベビーカーに近づいて、代わりに雄太が凱央を抱き上げてアレックスを撫でさせる。
「アウ、ガンバウンダヨ」
凱央の撫で方も上手くなったなと雄太は思っていた。
春香の隣に立った飯塚は、悠助の顔がアレックスを見詰めている事に頬が緩む。
「悠助ちゃんも、本当に馬が好きって顔してるなぁ〜」
「そうですね。顔と言えば、飯塚調教師。アルの顔、白くなりましたよね?」
「ん? ああ。芦毛は歳を重ねると白くなるのは分かってるかな?」
「はい。教えてもらいました」
「うむ。アレックスはウチに来た時と比べて随分白くなったよ。アレックスは顔からだな」
凱央が思う存分アレックスを撫で、次は悠助だと雄太は抱っこしてやる。
「悠助、そっとナデナデだぞ?」
「アイ」
悠助の小さな手がアレックスの鼻を撫でる。凱央と比べると小さな手だが、初めて馬に触れた時より少し大きくなっている。
「マッマ、インジンモッチェキタ?」
「うん。持ってきてるよ。飯塚調教師にあげても良いか訊いてごらん」
凱央は飯塚を見上げた。
「ンマタンテンテェ。インジンアゲチェモイイデシュカ?」
「本当に上手に話せるようになったな。ああ、良いよ」
「アイガチョゴジャイマシュ」
凱央は嬉しそうに笑いながら、ペコリと頭を下げる。春香はベビーカーに下げていた袋からタッパーを出して、凱央に人参を持たせた。
「雄太くん、凱央がアルに人参あげたいって」
「ああ」
雄太は悠助をベビーカーに座らせて、凱央を抱き上げた。
「アウ。チュギモ、ガンバエ」
アレックスはボリボリと人参を食べて、フッと顔を上げると凱央の頬をペロリと舐めた。
「ちょっ‼ おい、アルっ⁉」
雄太は焦ったが、凱央は目を丸くした後、キャッキャと笑っていた。
雄太は人参の匂いにクラクラしていた。




