71話
「私が初めて一人で遠出が出来たのは、鷹羽さんのレースを見たいって思ったからなんです。あの……笑わないでくださいね……? 私、今まで一人で電車に乗る事ってなくて……。私が一人で競馬場まで行けたのは、鷹羽さんのおかげなんです。鷹羽さんが勇気をくれたからなんです」
焦ったせいで、少し早口で話してしまったと春香が思った時、受話器の向こうから小さく笑い声が聞こえた。
『た……鷹羽さん……? も……もしかして 笑ってます……? 私、笑わないでくださいねって言ったのにぃ……』
雄太の耳に拗ねたような声が届いた。
「すみません。ちょっと笑ってしまいました。もしかして、馬券を買って叱られた事で俺に迷惑かけた……とか思ってます?」
『だって……』
「確かに俺も、やり過ぎだろうとは思ったし、金額にもビックリしましたけど、市村さんなりに俺を応援しようって思ってくれたからなんですよね? ありがとう」
一生懸命、雄太に非はないのだと春香が言いたいのが伝わって来る。
『私が世間知らずでズレてる事で、鷹羽さんが悪く言われたりしたくないし、迷惑かけたりしたくないし……。そんな事になったら申し訳なくて、申し訳なくて……』
「やっぱり。きっとそうだと思いましたよ。でも、俺は迷惑だなんて少しも思ってないですよ? 今度から少し額を抑えてくださいって思うだけです。市村さんに負担をかけたくないし。いつでも勝てる訳じゃないって、市村さんも分かってくれてますよね? だから約束してください」
『はい。約束します』
勝てなくて申し訳なかったと言う気持ちがあった。
見て欲しいと思っただけだったのが、競馬場まで足を運ばせ、馬券を買わせる事になった。
そして、その馬券を紙くずにしてしまった。
そんな気持ちでいっぱいだったのが、いつの間にか心がポカポカして来ているのに雄太は気付いた。
(どうしてだろう……。市村さんと話していると、いつもこんな感じになるんだ……。怪我をした時も、今も、なんだかんだで笑顔になれるんだ……。今回の事だって、反省しながら前に進めるって言う感じがしてる……。手紙に書いてくれていた『負ける事からも得られる経験もある』って言葉を、俺ずっと忘れちゃいけないよな)
そして、ふと鈴掛の言葉を思い出す。
『反省しないよりする方が良いけど 来週もレースはある』
『一着になれなかった事やミスった事を引き摺ってたら駄目だ。次に乗る馬に申し訳ないだろ』
(市村さんと話してるだけで自然に出来てるんだよな……。甘えるつもりはないけど、市村さんと一緒に居られたらな……。市村さんに傍に居て欲しい……)
「もしもし? 鷹羽さん? どうかしましたか?」
急に雄太が何も言わなくなってしまい春香は焦った。
『あ……すみません。えっと、次のレースなんですけど、今週末の土日両方出ます。今週も阪神です』
「土曜日も日曜日もなんですね。大変そう……」
『大変ですけど仕事ですから。何より好きな事ですしね』
雄太は明るく言う。
(本当に騎手って仕事が好きなんだなぁ……)
その好きな仕事をする事の手助けが出来て良かったと春香は思った。
「競馬場に行く事は出来ないですけど、ちゃんと応援してますね」
『はい。見てもらえないのは残念だけど、精一杯頑張りますから。今度こそサイン……は、まだちゃんと考えられてないんで、名前書きます。土曜日が駄目だったとしても、日曜日があります。一日でも早く、市村さんが買ってくれた色紙に名前書きます』
「はい。待ってます。でも、無理をして怪我をしないでくださいね? 私は施術じゃなく、鷹羽さんに会いたいです」




