70話
(ふぅ……。今日は疲れたなぁ……)
自宅に戻った春香はチラリと時計を見た。
時刻は19時47分
鈴掛と喫茶店で話をした後、自宅に戻り掃除をしていた時、直樹から『春、急患行けるか?』と呼び出しがかかった。
そして施術が終わった後、いつものように閉店作業とミーティングをしていた。
(休み半分潰れちゃった……。休みだからって予定がある訳じゃないから良いんだけど……ね)
一般的な二十代の女性ならショッピングに行ったり、恋人がいる女性ならデートをしたりするのであろうが、春香にはその予定は皆無。
休日に出掛ける事すら殆どないので、普段着すら買い替え頻度は低め。
大抵は、食材の買い込みと掃除で終わっていた。
直樹と里美から、週休二日制の打診もあったが、休みがあってもやる事がないからと休日は週に一日のみ。
余程疲れが取れない時や私用がある時だけ二日間休むスタイルでいた。
予約がない時間はVIPルームで読書をしたりしていて、半日休日状態の時もあるので、春香自身が休みが欲しいと思う時は稀だった。
(鈴掛さん、鷹羽さんに手紙を渡してくださいって言ったのを変に思わなかったかなぁ……)
『これを鷹羽さんに渡してもらえませんか?』
そう言って春香が封筒を差し出した時の鈴掛の笑顔が、いつもと違う感じがしてずっと気になっていた。
雄太の住所は受付表を見れば分かるが、ポストに投函しても雄太の自宅に届く頃には、雄太は次のレースに出る為にどこかの競馬場に行ってしまっている。
速達で出しても、雄太が調整ルームに入る為に自宅を出てしまっている可能性もある。
(次のレースの事を訊きたいなら、もっと早く手紙を書けば良かった……)
雄太が、一着になれなくて悔しい思いをしているだろうと思い、手紙を出す事をギリギリまで迷っていた。
(もしかしたら、私がサイン欲しいって言った事がプレッシャーになったりしたかも知れない……)
と思って悩んでしまっていたのもあった。
まだ、雄太がどんな性格であるか分からない為に、色んな事を思ってしまい一歩踏み出せなかったのもあった。
(私は勇気が足りないのよね……。鷹羽さんに競馬場に行く勇気はもらえたのにな……。それに、あんな手紙書いて、鷹羽さん気を悪くしてないかなぁ……。何も分かってない私に言われたくない……とか思ったりしたんじゃないかなぁ……。もし、そんな風に思われていたらどうしよう……)
疲れている時に考え事をすると、どんどん悪い方に考えが行くと分かっていても、雄太の事を考えずにはいられなかった。
その時、電話の着信音が鳴った。
(え? も……もしかして……鷹羽さん……?)
時計を見ると20時ちょうど。
春香は受話器を取った。
「もしもし」
『こんばんは、市村さん。鷹羽です』
耳に届いたのは雄太の優しい声。
(鷹羽さんだ……。電話して来てくれた……)
「こんばんは、鷹羽さん。この時間は、もうおやすみになっているんじゃないんですか……?」
嬉しい気持ちが半分。
申し訳ない気持ちが半分。
嬉しい気持ちの方が大きいかも知れないと思いながら、春香は訊ねた。
『大丈夫です。あの……阪神まで来てくれていたそうですね。ありがとうございました。せっかく仕事を休んでまで来てもらえたのに、俺勝てなくてすみません』
「あ……謝らないでください。私が、鷹羽さんのレースを見たくて行ったんです。私が、どうしてもどうしても見たいって思ったから行ったんです。私が、勝手にした事です。鷹羽さんが謝る事なんてないんです」
雄太の申し訳なさそうな声を聞いていると、春香の胸の奥がチクチクと痛んだ。




