702話
4月25日(日曜日)
アレックスは三連覇をかけた天皇賞春に出場した。オッズは1.6倍の圧倒的な一番人気だった。
「アウ〜。バンバエ〜」
「パーパー」
4コーナーを回った時、アレックスは先頭を走っていた。
「頑張って、アル。頑張って、雄太くん」
テレビの前で声援を送っていたのだが、一頭の馬がグンッと前に出た。
(え……?)
三頭横並びだったのは束の間だった。グングンと加速した馬は、アレックスともう一頭を置き去りにして単独でゴール板を駆け抜けた。
「アルが……負けちゃった……」
アレックスより二歳年下の馬は凛とした雰囲気を醸し出していた。
雄太が下馬し、ゼッケンなどを外していると、アレックスは負けず嫌いの性格を全面に出し苛ついていた。
「アル、次は勝つぞ。負けたまま終わる俺達じゃないだろ? 早く疲れを取って、次走に備えてくれよな?」
雄太の決意が通じたのか、アレックスは雄太をジッと見詰めた。雄太は、アレックスの首をポンポンと叩くと、後検量へ向かった。
自宅に戻ると、春香と子供達が出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「パッパ、アヤクオフロハイロウ〜」
「パーパー、パーパー」
キャッキャと両手を上げる子供達の笑顔に、胸の中の詰まりが取れた気がして子供達を抱き上げる。
「よぉ〜し。風呂入るぞぉ〜」
「アイ〜。ウースケ、キントカチテアゲユカヤネ」
「ニィニ〜」
「え? 凱央の事、ニィニって言った……?」
子供達を抱っこしている雄太に代わってバッグを持ち、横に並んで歩き出した春香が笑う。
「そうなの。凱央に自分の名前を教えて、悠助にお兄ちゃんだよって言ってたら覚えたの」
「……凱央、名前言えるのか?」
「イエウオ。タタパネトチオ」
「おぉ〜」
雄太がピタリと足を止め、凱央の顔をマジマジと眺めると凱央は得意気に笑う。
「パッパハ、タタパネウータ」
「うん」
「マッマハ、タタパネハウカ」
「おお……」
「ウースケハ、タタパネウースケ」
「春香……」
「なぁに?」
「凱央は天才だな」
真顔で言う雄太に、春香の目が真ん丸になる。そして、我慢出来なくなったのか、涙を浮かべてケラケラ笑い出した。
「え? どうかした?」
「雄太くん、お義父さんと同じ事言うんだもん」
「え゙……」
苦虫を噛み潰したような顔をする雄太に、春香は笑いが止まらなくなる。
「雄太くんが帰ってくる少し前、お義父さんが帰ってらして、凱央が自分の名前も雄太くんの名前も言えるようになりましたよって言ったら、天才だぁ〜って」
「うわぁ……。俺、ショックだ……」
雄太はガックリと項垂れた。
子供達が寝入ってから、春香にしっかりとマッサージをしてもらう。
(アルの調子が良くったって、絶対に勝てる訳じゃない。ただ、アルに乗れるのは、本当に後数回だ……。だから勝てなかったのが悔しいんだ)
馬だけでなく騎手も、いつか世代交代の時期が訪れる。それが、『いつ』と言うのは誰にも分からないのだ。
だからこそ、後悔はしたくないと心の底から思う。
(よしっ‼ 次は勝てるように頑張ろう)
雄太が決意を固めると、春香が小さく笑った。
「雄太くん、今アルの事を考えてたでしょ?」
「え? あ、分かった?」
「うん。ずっと難しい顔をしてるなって思ってたら、スッキリとした顔で頷くんだもん」
頭をフル回転させて考え事をしている時、特有の雰囲気があると、前に春香は言っていたのを思い出す。
そんな時、春香は黙って見守っていてくれる。
「俺が騎手を引退するまで、何頭の馬に関われるか分からないけど、どの馬にも真摯に関わりたいって思うし、調教師や馬主の期待に応えていきたいなって思ってるんだ」
「うん。私はマッサージとか応援するしか出来ないけど頑張って欲しいなって、いつも思ってるよ」
「ありがとう、春香」
最後に腕のコリを解してもらい、マッサージが終了すると、春香がニッコリと笑う。
その笑顔で、また頑張れると思う雄太だった。




