699話
初めて見る春香の姿に、凱央と悠助はキョトンとしていた。
「雄太くんは雄太くんにしか出来ない事を頑張ってくれてるの。伯父さんもでしょ? 伯父さんに手術をお願いしてくるって事は、伯父さんにしか出来ないからでしょ? 私も私に出来る事をする。だから、大人しく施術をうけて」
「……そう……だな……」
小さな声で呟く重幸にトテトテと凱央が近づいた。
「オイタンテンテェー。メッ‼ イイコチナチャイ」
「と……と……凱央……」
話している意味など半分どころか一割も分かっていない幼子にまで叱られた重幸は、片手で顔を覆って凹んだ。
「……分かった。春香、頼む。木曜日に完璧に手術が出来るようにしてくれ」
「うん。任せて」
頷いた重幸は、直樹の手を借りてVIPルームに入った。春香は子供達の頭を撫でてから向かった。
施術の準備は里美がしていてくれたので、春香は早速施術にかかった。
残っていた客が引けた待合にプレイマットを敷いて、凱央と悠助を遊ばせながら、直樹は小さく笑った。
「春の本気の説教、久し振りに聞いたな」
「本当ね。あの子、変わってないわね」
「春が、あの骨折した野球選手に説教ブチかましたのって十六歳だったよな」
「ええ」
里美も思い出し笑いをする。
『一千万出すから治してくれ』
そう言ったプロ野球選手に、春香はガンとして施術をしなかった。
『無理なものは無理です。あなたは、一千万出すから次の球をホームランにしろって言われて出来るんですか? 私にも出来る事と出来ない事があるんです。やるからには責任持ってやりますけど、出来ない事を出来るとは言えません』
自分より年上で、背も高く体格の良い男であっても一歩も引かずにいた春香。自分の仕事に誇りを持っている姿を、直樹も里美もはっきりと思い出す事が出来るのだ。
(兄さんを助ける事が患者の命を救う……か。どこで覚えたんだか)
直樹は、春香の言葉を思い出し小さく笑う。
時折、VIPルームから重幸のうめき声が聞こえてくる。
凱央は心配なのか、開け放たれたドアの向こうを覗きに行っている。そして、プレイマットに戻ると、直樹と里美を見上げた。
「オイタンテンテェー、イタイイタイ?」
「ん? そうだな。でも大丈夫だぞ」
「ママが、痛いの痛いの飛んでけしてくれてるから、もう少しジィジとバァバと遊んでましょうね」
「アイ」
悠助は訳が分かっていないのだろう。里美がフリフリと動かしているウサギのパペットに夢中だ。
「直樹が……」
「え?」
「付き合う少し前、直樹が西洋医学だけでは本当に患者を治す事が出来ないって言った時、私は何を言ってるんだって思ったのよ。でも、今あの壁の向こうで春香は東洋医学でもない不思議な力で、西洋医学の助けになろうとしてる……」
「里美……」
里美がパペットのウサギの手で悠助の頬をポフポフと触れると嬉しそうに笑う。その笑顔は、自分が見る事が出来なかった幼児期の春香のような気がした。
「やっぱり、春香は直樹の子だわ。患者の為に一生懸命になれるんだもの。しかも、今回はお義兄さんの患者の為よ? 東雲家の血筋なのかも知れないわ」
「いやいや。普段柔らかくフワフワした感じなのに、信念は曲げないし、ビシッと言えるのは市村の血筋だぞ?」
「褒めてる?」
何やら失礼な事を言われたような気がして、里美は直樹の顔をマジマジと見た。
「もちろん。里美の言う通り、病院に来る患者の為に何とかしたいとマッサージの店を始めた俺達のところに、理解出来ない癒しの力を持った春が来てくれたのは……運命だったと思うよ」
「運命……。そうね。神様が春香を遣わしてくれたのかも知れないわね」
二人は春香と初めて会った日、あの公園のほうへ散歩に行かなければ、春香は今どうしていただろうと思った。
恐らく空腹で動けなくなり、児相に保護されていただろう。そうだった場合、直樹達は春香の存在すら知らずにいただろう。
それは雄太も思っていた事で、ほんの少し違っただけで、現在が違ったかも知れないと思うと、人生とは不思議なものだと思うのだった。




