698話
4月18日(日曜日)
今日は中山競馬場で皐月賞が開催される日だ。
(えっと、お昼食べて……。さっさと片付けて、凱央達のオヤツの準備をして……。あ)
ウキウキと雄太のレースを見る為のプランを考えながら窓の外に視線を移した春香は、庭に出てブルーシートを広げて座布団などを干している理保の姿に気づいた。
「お義母さん、お昼ご一緒しませんか?」
窓を開けて声をかけた春香に、ニッコリと笑った理保の姿に子供達も窓へと近づいてくる。
「あら、嬉しいわ。美味しい佃煮をもらったのよ。一緒に食べましょう」
「はい」
「バァバ〜」
「バー」
春香の足元に群がる孫達の姿が可愛くて堪らない理保は、座布団を並べ終わると雄太宅へいそいそと向かった。
昼食を食べ、春香と理保がゆっくりとお茶を飲みながら孫達が遊んでいるのを見ている時、私用の電話が鳴った。
春香が立ち上がり子機を手にして通話ボタンを押すと、少し疲れたような直樹の声が聞こえた。
『春、悪いな。俺だ』
「お父さん、どうかしたの?」
『ああ。今から来られないか? 兄さんが腰をやってな。木曜日に大きな手術の予定が入ってるからって、里美にマッサージをしてもらっても駄目っぽくてな』
「うん、分かった。直ぐ支度して向かうから」
子機を置いて振り返ると、理保は優しく微笑んでいた。
「急患なのね。早く行ってあげなさい」
「はい。着替えるので、子供達を見ていていただけますか?」
「当たり前よ」
「ありがとうございます」
春香は自室に入り、施術服に着替えた。店に着いたら、直ぐ施術する為だ。
(汗だくになるだろうし、着替えをマザーバッグに入れて……。凱央と悠助の着替えと……)
素早く準備をしてリビングに戻る。
「春香さん、精一杯頑張るのよ」
「はい。お義母さん、行ってきます」
春香は子供達を連れて、草津へと車を走らせた。
店に着くと、駐車場で里美が待っていてくれた。チャイルドシートから凱央を下ろし、悠助を抱っこしてくれる。
「お母さん、ありがとう。重幸伯父さんは?」
「それが……。お義兄さん、ゴネてるのよ」
リュックを背負い、マザーバッグを持った春香に、里美は苦笑いを浮かべながら話す。
その時、クローズの札がかかった店内から声がした。
「あのなぁ……。もう直ぐ春が来てくれるから大人しくしててくれよ」
「俺は春香を呼んでくれなんて言ってないぞ? 土日は雄太くんのレースがあるんだぞ。仕事とは言え呼びつけたら可哀想じゃないか」
呆れたような直樹が説得しているのだろう。
「ずっと、あの調子なの。私のマッサージじゃ無理だって言ってるのに」
「もう……。まだお客様がいらっしゃるじゃない」
春香は小さく溜め息を吐くと凱央の手を引いて店内に入った。
自動ドアが開く音に気づいた重幸は、待合の長椅子に横になった姿のまま春香を見て渋い顔をした。
「伯父さんっ‼ 子供じゃないんだから我が儘言わないでっ‼」
「え? あ、いや……その……」
開口一番、ビシッと言われた重幸はタジタジになる。
「お父さんに聞いたわ。木曜日に大事な手術が入ってるんでしょ? なら、さっさと施術させて」
「い……いや、今日は雄太くんのG1が……」
春香は腰に手を当てて、更に言葉を続けた。
「だったら尚更よ。雄太くんのレースが始まるまでに終わらせたいの。ゴネてレースを見逃させたいのっ⁉ それに、私の世界一の旦那様は、レース見るより施術しろって言ってくれる男性よ。まさかと思うけど、伯父さんと伯父さんの患者様より、自分のレース見ろって言う男性だって思ってるのっ⁉」
「そ……そんな事は……」
まさに立て板に水の如くといった感じの春香に、重幸は次第に小さくなっていくようだった。
「伯父さんの施術をして助けるって事が、患者様を助ける事に繋がるの。患者様の命を救う事になるの。それぐらい分かるでしょ⁉ 伯父さんはお医者様でしょっ⁉」
「う……」
あまりにも正論過ぎて、重幸は言葉に詰まってしまった。




