697話
4月12日(月曜日)
雄太達は、トレセン近くの桜並木が見える空き地で花見をしていた。
「パッパ、オニイリオイチィネ」
「ああ。ママのご飯は美味しいよな」
「パー、ンマンマァ〜」
「悠助もママのご飯好きだよな」
凱央は大きな口を開けておにぎりを頬ばり、悠助は出汁巻き玉子をマクマク食べている。
春香はニコニコと笑いながら、時折カメラで写真を撮っていた。
薄ピンクの花弁がヒラリと舞ってくる。その花弁を見て、雄太は春香のほうを見る。
「初めて春香に弁当を食べさせてもらった日の事を思い出すよ」
「うん。あれから色々あったよね。お付き合いして、結婚して、子供達が私達のところに来てくれて」
「そうだな」
あの頃、春香への想いがつのり溢れ、何度も何度も好きだと伝えていた事を思い出すと顔が熱くなる。
「どうしたの?」
「な……なんでもないよ」
耳まで赤くした雄太は、誤魔化しながら大好きな唐揚げを頬ばる。
「やっぱ、春香の唐揚げが一番美味いよ」
「ふふふ。ありがとう」
春香の優しい笑顔は、あの頃と変わらず心がポカポカとしてくる。
「はぁ〜。こうやって癒やされる時間って大切だな」
「雄太くんのお仕事は朝は早いし、命に関わる怪我をする事もある厳しいお仕事だもん。ホッと息を吐ける時間は大切だと思うんだぁ〜」
春香は悠助のフォークに半分にしたプチトマトを刺してやり、ハンバーグのソースでベトベトになった凱央の口の周りをおしぼりで拭いてやっている。
「マッマ、アイアト」
「マー、ンマァ〜」
子供達の顔を見て微笑むと雄太のほうを向き、そっと手を握った。
「私に出来る事は、雄太くんが何の心配も憂いもなく、お仕事に集中出来る環境を作る事なんだって思ってる」
「春香……」
「雄太くんが一生懸命に頑張ってくれてるんだもん。私も出来る事を精一杯頑張らなきゃ、ね」
雄太は、春香を諦めなくて本当に良かったと思った。
(ありがとう、春香……。俺の大好きなこの笑顔を誰より傍で見ていたいと思ったんだ……。この笑顔を守っていきたいんだ。だから、頑張れるんだ)
少し前、雑誌のインタビューで私生活について質問をしても良いかと訊かれた。
『奥様の一番好きなところは?』
そう訊かれて、答えようとした雄太は、女性スタッフの目が興味津々といった感じに見えた。
「そうですね。屈託なく笑った顔です。無邪気に笑っている顔を見ると、本当に癒やされますし、頑張る力をもらえます。それは、子供達にも言える事ですね」
無意識に胸元の指輪に手を当てた。
「ありがとうって言うだけで笑ってくれるんですよ。毎日の食事の準備だけでなく、何かしてもらったらありがとうって言うのが、うちの家の暗黙のルールって感じですかね? 感謝と思い遣りは大切にしてます。もし、最近妻の笑顔見てないぞって方はありがとうって言ってみてください」
収録現場に笑いがおこった。
「ありがとうとごめんなさいが素直に出来る人は素敵だと思いますよ」
そこそこ年がいったスタッフ達は、恐らく出来ていないのだろう。完璧に苦笑いを浮かべていたなと、つい思い出し笑いをしてしまう。
「しっかり食べるんだぞ。食べ終わったらアルに会いに行くからな?」
「アウ、アエユノ? イイコイイコデキユ?」
「アウアウァ〜」
凱央だけでなく、悠助も嬉しそうに笑う。
「ああ。ナデナデして頑張れってしてやろうな」
「アイっ‼」
「ワァウアウ、バゥアゥア〜」
「……凱央、悠助は何て言ってる?」
「ウースケ、アウニバンバエッチェイッチェウ」
「そうか。悠助もアルの応援してくれるって言ってるんだな」
微笑ましいやり取りを見て、春香はニコニコと笑っていた。
アレックスに会いに行き、人参やリンゴを食べさせてやり、思う存分撫でてやった凱央と悠助は始終笑顔だった。
例に漏れず春香は舐められていた。
「……俺が何を言っても、アルは舐めるの止めないんだよな……。俺の春香なのに……」
諦め顔の雄太に当番の厩務員達は腹を抱えて笑っていた。




