696話
阪神競馬場 10R 第53回桜花賞 G1 15:40発走 芝1600m
雄太は一番人気。オッズは2.0倍。
晴れ晴れとした空と咲き誇る桜が、競馬場内を華やかに彩っている。
「桜、綺麗ね」
「ええ」
聞き慣れたファンファーレが流れると、凱央と悠助が持っているポンポンを揺らす。
「ウースケ。パッパ、ハシウヨ。オウエンシユヨ」
「パー、パー」
春香と理保も拍手を送る。
ゲートが開いて、雄太は一度先頭に立った。直ぐに二番手になったが、そのまま先行集団の前目にいる。
「今日は晴れてるから、先週より安心して見ていられるわ」
「そうですね。お義母さんも、お義父さんがレースの時に雨だったら心配されてたんですよね?」
「ええ。結婚した当初は、天候に関係なく落馬するんじゃないかってドキドキしてたわ」
画面の中の雄太を見ながら、理保は慎一郎が騎手をしていた頃を思い出しながら話す。
春香は初めて雄太のレースを見るまでは、競馬についての知識はほぼなかった。施術に来た患者から『競馬の騎手で落馬をした』という話を聞いたり、待合にあるテレビで競馬中継をチラリと見たぐらいで、どういった物なのか知らずにいた。
「私、雄太くんの初めてのレースを見た時は、落馬の危険性なんて分かってなかったんです。でも、色々と調べていって、競馬は本当に危険と隣り合わせのスポーツなんだって知って……」
「応援しながら、雄太の身を案じてくれてたのね」
「はい」
話しながら画面を見ていると、雄太がグンッと前に出た。
「パッパ、バンバエ〜。バンバエ〜」
「パー、パー」
春香がいつも一番心配している4コーナーを先頭集団で過ぎ、先頭で走っている雄太を見詰める。
「雄太。最後まで頑張りなさい」
(お義母さん……)
真剣な顔でテレビを見ながら、理保が拳を握って応援している。
一人で家にいる時の理保は、こんな感じで雄太のレースを見守っているのだろう。
雄太は約一年G1を勝てていないのだから、理保が力を入れてしまう事が理解出来てしまうのだ。
それは、春香も同じだった。
「雄太くんっ‼ 頑張ってっ‼」
「パッパァ〜。バンバエ〜。パッパァ〜」
「パー」
思わず声が出てしまう。凱央が立ち上がり、激しくポンポンを振り回している。それを見た悠助も同じように腕をフリフリとしていた。
画面いっぱいに、先頭を走る雄太が映る。後続馬が映らないぐらいの着差をつけて、雄太はゴール板を駆け抜けた。
「やったぁ〜」
「パッパ、カッチャア〜」
大はしゃぎする春香と子供達。理保は、目元を押さえて雄太の勝利を喜んでいた。
後検量を終えた雄太に、純也が抱きついた。
「ウオッ⁉」
「おめでとうっ‼ 雄太っ‼」
「あ……ありがとう」
「やったなっ‼ 良かったなっ‼」
そこに、後検量を終えた梅野がやってきて、純也と同じように思いっきりハグをする。
「雄太ぁ〜。やったなぁ〜」
「ありがとうございます」
「約一年振りだよなぁ〜。本当、よく堪えたよ、お前ぇ〜」
雄太が理不尽に叩かれているのを知ってくれていた二人が、自分のことのように喜んでくれているのが嬉しかった。
(どれだけ叩かれても、信じてくれてる人がいるんだ……。俺……)
他の先輩騎手も、後輩も皆が喜んでくれている。油断すれば涙が出そうになるぐらい嬉しかった。
帰宅すると、春香は涙を浮かべていた。
「おかえりなさい、雄太くん」
「春香……」
雄太は初めてG1を勝った時に、目にいっぱい涙を浮かべながら笑っていた春香を思い出す。
「パッパ、オメエトォ〜。バンバッチャネ」
「パー、パー」
あの時と違うのは、春香の足元にいる大切な宝物が二人並んでいる事だ。その宝物が、両手を挙げて笑って抱っこをせがんでいる。
雄太は身を屈めて子供達を抱き上げる。
「パパ、頑張ったぞ。応援しててくれたんだな。ありがとうな、凱央。ありがとうな、悠助」
どんなに苦しい事があっても、前に進んでいく事を諦めない。夢を諦めない。
改めて心に誓った雄太だった。




