691話
4月2日(金曜日)
雄太は土日とも阪神競馬場での騎乗がある。日曜日は、久し振りのアレックスとのレースがあり、いつも以上に気合いが入っていた。
(ちょっと落ち着こう。気合いは入り過ぎても駄目だからな)
春香と子供達が玄関先まで見送りをしてくれる。
膝をついて凱央と目線を合わせた。
「パッパ、バンバッチェ」
「ああ。アルと頑張ってくるからな」
「ン。パッパチョアウ、オーエンシュル」
「凱央は良い子だな」
頭を撫でてやると、満面の笑みを浮かべる。立ち上がり、春香に抱っこされている悠助の頬をつつく。
「悠助、良い子にしてるんだぞ?」
「ウダダァ〜」
「春香、留守を頼むな」
「うん。いってらっしゃい。気をつけてね」
「ああ。いってきます」
愛おしい三人に見送られ、雄太は阪神競馬場へ向かった。
阪神競馬場の調整ルームに着くと、多数の先輩達がワイワイと話していた。その中に純也がいた。
「おう、雄太〜」
「ソル、早かったんだな」
「まぁな。ちょっと雄太に話したい事があるんだけど」
純也はニコニコと機嫌良さそうだ。
「ん? 良いぞ」
「先輩がたには話したし、雄太の部屋行こうぜ」
雄太と純也は並んで歩き出した。部屋に着き雄太が荷物を置いたのを見てから純也は話し出した。
「あのさ、俺ダービーに出られる事になった」
「えぇっ⁉ あ……もしかして、あのメイクデビューから乗ってた子か?」
「そう、あの馬」
雄太の顔がパァーっと輝く。そして、申し訳なさそうな顔になった。
「ごめん。俺、自分の事で精一杯だったから」
「良いって。雄太が大変だったのは分かってるしさ」
「そっか。その後も勝ってたもんな。ダービーかぁ〜。良かったな」
幼い頃から共に育ち、騎手として切磋琢磨してきた親友がダービーに出られるという報告が嬉しくて堪らない。
「サンキュ。まだまだ、雄太には遠く及ばないって思ってるけど、着実に進んでるって思ってんだ」
「遠く及ばないなんてないだろ? G1だって勝ったんだしさ。それに、リーディングだって上位なんだし。それにダービーに出られるんだぞ?」
「だな」
純也は、照れくさそうに笑った。
「俺、雄太に追いつきたいって思ってんのは、競馬学校にいる時も、デビューしてからも今も変わってねぇ。いつか、雄太に背中見せてやるぜ」
「ははは。今までだって何度も、ソルが先着してるじゃないか」
「あ、言い方がチゲェな。G1で雄太に背中見せてやる、だ」
雄太はニヤリと笑う。
「お〜。受けて立つぞ」
「よっしゃ。レースに出たらライバルだもんな」
「ああ」
お互いの顔を見て、拳を合わせる。
「ダービーは来月だから、それまで体調崩すなよ?」
「そうだな。最近は、里美先生にバッチリ筋肉整えてもらってるんだよ。春さんから、部屋の湿度とかも気をつけてねって言ってもらって、湿度計買って加湿器も買ったんだ」
「そう言えば、風邪引いてなかったよな?」
純也は、そんなに酷くはならないが、一冬に二度ぐらいは風邪を引いていた。
「湿度の管理って大切だよな。俺、適当にしてたからさ」
「ソル、大口開けて寝てるから、喉に悪いって何度も言ったじゃないか」
「俺、口開けて寝てるっけ?」
「開けてるぞ? 前にソファーで寝てた時に、悠助に口に積み木を入れられてたじゃないか」
凱央と遊び疲れてソファーで寝ていた時の話だ。
「あ〜。あれって、口開けてたからか」
「わざわざ口をこじ開けてまで積み木食わせないって」
「そう言えばそうだな」
そう言って純也はゲラゲラ笑った。
「笑い事で済ませてくれて、親としては嬉しいけどな」
「一歳にもならない悠助のオチャメに目くじらは立てねぇって。てか、あん時さ、積み木がデカくて飲み込まなくて良かったって思ったんだよな」
「……ソル。今度、俺ん家に来た時はソファーで寝るなよ? あの積み木は木製だから、齧って食われたらたまんねぇからな?」
「食わねぇよっ‼ ……ん? 木製だから食って食えない事もないのか……」
真顔で言う純也に、目を丸くして固まってしまった雄太だった。




