688話
3月29日(月曜日)
朝食が済んだ後、雄太と春香は庭に出て子供達を遊ばせていた。すると、慎一郎が窓を開けて声をかけてきた。
「雄太、今日は予定ないって言ってたな?」
「え? ああ。今日は完全オフだけど?」
「なら良かった。ちょっと付き合え」
「へ?」
慎一郎の姿を見た凱央はテッテッテと近づいて行く。
「ジィジ〜」
「凱央、ジィジとお出かけしような」
「アイ〜。ジィジオデアケシユ〜」
凱央は嬉しそうに笑っているのと相反して、雄太が渋い顔をしているのに気づいた慎一郎が笑う。
「そんな嫌そうな顔をするな」
「う……」
「もう。雄太くんたら」
春香にも笑われ、雄太は苦笑いを浮かべた。
慎一郎はゆっくりとトレセンのほうに向かって歩いている。肩車をしてもらっている凱央は上機嫌だ。
「父さん、何処に行くつもりなんだろな?」
「ん〜。トレセンに何かあるのかな?」
慎一郎の後ろを悠助を乗せたベビーカーを押しながら雄太と春香は並んで歩いている。
「ジィジ〜。ンマタンミユノ?」
「ん? 凱央は馬は好きか?」
「ン。ンマタンシュキ〜」
「そうか、そうか。凱央は良い子だな」
慎一郎は嬉しそうに言いながら、乗馬教室のほうに入って行った。
(へ? 乗馬教室って……。何があるんだ?)
慎一郎が乗馬教室に行く理由が思いつかずも、後をついて行く。
「あ、慎一郎調教師。お待ちしてました」
「小野寺先生。今日はよろしく頼みます」
「ンマタンテンテェ〜」
「凱央ちゃん、よく来たね」
慎一郎と挨拶を交わした後、小野寺が凱央に声をかける。
「ご無沙汰してます、小野寺先生」
「こんにちは」
「雄太ちゃん、久し振り。春香さん、この間はありがとう」
雄太は小野寺に会うのは久し振りになる。春香は、健人が教室を見に来て欲しいと言うので、差し入れを持って来ていたのだ。
それにしても、今日慎一郎が教室を訪ねた理由が分からず、雄太達は凱央を肩から下ろした慎一郎を見詰めていた。
「じゃあ、連れてきますから」
(へ? 連れて……? 誰を?)
雄太が訊ねる前に、小野寺は馬房のほうへ行ってしまった。
そして、戻って来た小野寺は、白地にところどころ薄い茶色のポニーを連れていた。
「ンマタン、ンマタン〜」
「ウタタタタァ〜」
凱央と悠助が嬉しそうに歓声を上がる。その声にも動じず、小さな小さなポニーは、ユラユラと尻尾を振っていた。その背には、鞍が乗せられている。
「えっと……小野寺先生……?」
「慎一郎調教師から、凱央ちゃんをポニーに乗せてやれないかって言われてね」
「父さんが?」
驚いた雄太が慎一郎を見る。雄太の視線に気づいた慎一郎はニッと笑った。
「三歳の誕生日にと思ってたんだ。このポニーは体高が低くて大人しい。だが、まだ人を乗せる訓練が終わってないって事で今日になったんだ」
「まぁ……。確かに体高はかなり低いけど」
(まさか、父さん……)
慎一郎は、膝をついて凱央と目線を合わせる。
「凱央、このポニーの名前はモモちゃんだ。撫でてみるか?」
「モモタン、ナデユ〜」
慎一郎がついているから大丈夫だと思い、雄太達は静観していた。
凱央は、いつもサラブレッドに触れる時と同じように、優しく優しく鼻面を撫でている。
春香は持ち歩いているカメラをリュックから取り出し写真を撮っている。
「凱央、モモちゃんに乗ってみるか?」
「ジィジ、モモタンノッチェイイノ?」
「ああ。乗って良いんだ」
「ノユ。モモタンノユ」
慎一郎は深く頷き、雄太を見る。
「雄太、準備してやってくれ」
「……分かった」
不安がない訳じゃない。いくら体高が低くても、普段遊んでいる手押し車や三輪車とは高さが違う。
だが、凱央が乗ると言うのだから駄目だと言えない。
「雄太ちゃん、これヘルメットとサポーター。保護ベストは、ちょっと大きいかも知れんが、調整してやってくれ」
「はい。凱央、おいで」
「アイ」
(しっかり着けてやらなきゃな)
雄太はトテトテと近づいてきた凱央に装備させていった。




