684話
一月中の重賞は勝つ事が出来なかった雄太だが、二月の一週目のG3東京新聞杯で一着になった。
しかも、慎一郎の管理馬だったから、雄太もだが慎一郎もホッとしていた。
(やっと……やっと重賞勝てた……)
寒さが厳しい季節とは言え昼間ではあるのだが、全身が熱くなっているレース後だから吐いた息が白くなっている。
歓声の上がる観客席を見ると、大勢の人達が喜んでいる顔が見え、気持ちがスゥーと晴れ渡る気がした。
自宅に着いた雄太は、明日の朝になれば、春香が色紙を抱えて喜ぶだろうなと想像しながらドアを開けた。
その瞬間、リビングのドアが開いて春香が駆け寄って来た。
「おかえりなさ〜い」
「春香、起きてたのか?」
「えへへ。だって嬉しかったんだもん」
自宅周辺は真っ暗なのに、春香はニコニコとすこぶる明るかった。
玄関ドアを閉めた雄太に、春香は思いっきり抱きついた。
その様子から、春香が雄太の重賞勝利をどれだけ待ち望んでいてくれたかが分かってしまった。
「おめでとう、雄太くん」
「ありがとう。やきもきさせてたな」
「信じてたから大丈夫。でも、嬉しいの」
しっかりと抱き締めかえすと、春香がスリスリと甘えてくれる。
(レースはレース。重賞でも何でも依頼がもらえるなら全部勝ちたい気持ちは、ずっと変わってない。メイクデビューでも、未勝利でも勝ちたい。でも、そう思ってくれない奴等の所為で、春香にも余計な負担かけたよな……)
「お風呂済んだらサインしてね」
「もちろん」
ニッコリと笑った春香にキスをして、雄太は風呂に向かった。
ゆっくりと手足を伸ばし、バスピローに頭を預ける。
今日、G3を勝った馬はメイクデビューから五戦勝てなく、六戦目の四歳未勝利で勝てた馬だった。ずっと雄太が乗っていた訳ではないが、慎一郎からの依頼があり、騎乗が合えば乗っていた。
(どんな馬でも、一つ勝つ事から始まる……だよな)
数多くの馬に跨ってきた。新馬にも乗らせてもらってきた。
未勝利のままターフを去った馬を見送る事もあった。
馬主や調教師が期待していたが、怪我や病気で引退をせざるを得ない馬もいた。
(俺にはどうする事も出来ない理由もあったけど、それでも一勝しなきゃなって思うんだ。背中を任せてくれた人達にこたえたい)
グッと握った拳を天井に向けて挙げた。
風呂を終えリビングに行くと、春香がニッコリと笑って待ってくれていた。テーブルの上には色紙とマジックが置いてある。
(本当、久し振りだよな。俺の事を信じてくれてありがとう)
マジックを手にしてサインをする。その間も春香はニコニコと笑っていてくれる。
「ありがとう、雄太くん」
「ああ」
初めてサインをした時と同じように、大切そうに色紙をビニール袋にしまって、キラキラと目を輝かせながら眺めている姿が愛おしい。
「お義母さんも凄く喜んでらしたよ」
「そっか。母さんにも心配かけてたもんな」
「どうしようもないからこそ色々考えちゃうっておっしゃってた。お義父さんが現役の頃からだから慣れてるとはおっしゃってたけどね」
理保も春香と同じで競馬と関係がない育ちだ。競馬がどういうもので、騎手の生活がどんなものか知らずにいた。
だから、春香が一生懸命にやっているのを誰より分かるのだろう。
「もし、凱央か悠助が騎手になったら、母さんの心配は続くんだなぁ〜」
「孫への心配は、夫や息子以上かも知れないね」
「そうかも知れないな」
今日も一緒に昼食をとり、孫達と遊んだり雄太のレースを見ていた理保は、春香に見せないようにしながら涙を拭っていた。
息子への批判に理保も胸を痛めていたから、この重賞勝利は嬉しかったのだろう。
(もしかして、何かと言えば実家で飯食ったりとかしてたのは、俺や子供達と過ごす事で母さん孝行してくれてたのかな?)
結婚記念日すら、実家で鍋が良いと笑っていた春香を思い出す。
(多分そうなんだろうけど、訊いても春香は笑って誤魔化しそうだな)
そう思った雄太は、そっと春香を抱き締めてキスをした。




