68話
「でな。春香ちゃん、お前の馬券 いくら買ってたと思う?」
鈴掛の問いに、雄太は少し考えた。
(え? 市村さんは初めての馬券購入……だよな。なら……)
「まぁ、普通に考えて百円とか……じゃないですか? 買ってても千円…… とか、それぐらいですよね?」
たとえ馬券購入が百円や千円でも、草津から阪神競馬場までの交通費はそれなりにかかる。
それだけでなく時間もかかるのだ。直通ではなく乗り換えがあるからだ。
雄太の答えに、鈴掛は首を横に振って右手を雄太に向けて広げた。
「え? 五……? 五百円……まさか五千円……? 俺の単勝に五千円もっ⁉」
(ちょっ‼ 市村さんっ‼ 五千円も使ったんですかっ⁉)
雄太が目を丸くして訊くと、鈴掛は堪えきれなくなったのかゲラゲラと笑い出した。
「す……鈴掛さん……?」
まるで梅野のように笑い転げる鈴掛。
そんな鈴掛を初めて見た雄太は驚いた。
「ち……違う……。ブハハッ。……五千円じゃなくて五万円……ブハハハハッ」
「ご……ご……五万円っ⁉」
驚いた雄太の体から一気に力が抜けた。
「そう……ブハッ。五万円。お前の…… ブフッ。初騎乗の応援したいのと……ブフッ。記念だって思ってブハハッ。五万円をお前の単勝にブッ込んだんだってさ。ブフフッ」
「わ……わ……笑い事じゃないですよぉ……」
デビューしたての自分に、まさか 単勝に五万円も使うとは思わなくて雄太は青ざめた。
(市村さん……何で五万円も……。あ……他のレースのも買ってたとしたら……。まさか、全レースの単勝に五万円使ったんじゃないでしょうねっ⁉ 市村さんっ‼)
思う存分涙を流す程笑った鈴掛は、何度か深呼吸をして息を整えた。
「あ~。マジヤベェ……。酸欠になると思った……」
「俺……笑えない……ですよぉ……」
落ち込む雄太を見ながら、鈴掛は コーヒーを飲んで話を続けた。
「まぁな。春香ちゃん、初めての競馬で五万円はやり過ぎだって、東雲夫妻からこっぴどく叱られたって言ってたぞ。俺も『雄太がそそのかしたって思われるだろ』って言っておいたぞ」
「そりゃ怒られますよ……」
雄太は深く溜め息を吐いた。
(……あれ? そう言えば、市村さんは何で直樹先生に相談したんだろ……? 親には競馬の相談なんて出来ない…… か。若い娘が競馬に行きたいとか言ったら、普通の親なら怒りそうだもんな。それに、市村さんが仕事休んで阪神に行くなら、直樹先生に『休む』って言わなきゃならないんだろうから、ついでに阪神競馬場への行き方とかも相談したのかもな)
それにしてもと、雄太はまた溜め息を吐いた。
「春香ちゃんな、普段金を使う事がないからってのもあって『まぁたまには良いかな』って思ったって言ってたぞ。俺は、女の持ち物や服の事は全く分からんが、梅野が言うには殆どがノンブランドの物らしい。前に、春香ちゃんが施術中に、自分に金を使うってのが苦手だとか言ってた事があったんだよ。人に使う分には『まぁ良いかな』になって使うんだとか何とか言ってたな」
「だからって……」
雄太が溜め息混じりに云うと、鈴掛は雄太の肩をポンと叩いた。
「お前の言いたい事は分かる。けど、春香ちゃんは『物凄く反省してます』って言って落ち込んでたから、次会っても責めてやるなよ? 『いくら収入があっても、駄目な物は駄目だ』って、俺がしっかりと念押ししておいたから。競馬場に行ってまで応援したかったお前にまで責められたら、さすがに可哀想だからな。今回、総額いくら使ったかは訊いてないが、いつかお前が、春香ちゃんが負けた分を 何倍にもして返してやれ」
そう言って、鈴掛は コーヒーを飲み干すと
「じゃあな。ゆっくり手紙読め」
と言って帰って行った。




