680話
12月27日(日曜日)
中山競馬場で開催される師走の風物詩G1有馬記念。そして、年内最終開催日である。
雄太と鈴掛は選手控室で並んで座り、パドックのほうを見詰めていた。
「なぁ、雄太。お前、昨日阪神で三つ勝ったよな? 勝ち鞍いくつになった?」
「130です」
「全国リーディング確定だな。頑張ったじゃねぇか。いや、やり過ぎなぐらいだぞ?」
「ありがとうございます」
鈴掛はニッと笑って、はにかんだ雄太の頭を撫でる。
5月にG2を勝って以来、雄太の重賞の勝ちはない。それでも、掲示板入りはしているし、勝ち鞍は充分過ぎるほどだ。
「雄太。アンチの言葉を気にするなってのは無理だろうけど、気にし過ぎるなよ?」
「あ……はい。そうですね」
雄太は鈴掛の大きく温かな手のぬくもりが嬉しかった。親戚の兄のような頼りになる優しい先輩。
騎手としては何とか肩を並べられるようになったが、人間的にはまだまだ追いつけない気がしている。
「お前が守るべき人を守れ。守るべき物を守れ。誰が何を言ったって、お前が頑張ってるのは、俺達も知ってる。お前の大切な家族も、な」
「はい」
雄太は手にしている鞭をギュッと握り締める。
号令がかかり、鈴掛が雄太の肩をポンと叩き立ち上がった。
「さて、行くか」
「ええ。悔いがないように精一杯やります」
「おう」
先に騎手控室を出る鈴掛の背中を見詰める。ヘルメットをつけながら歩く背中は、やはり大きく感じた。
先頭の馬がゴールすると、競馬場を揺らす程の歓声と拍手が沸き上がる。
二着馬の最後の追い込みは凄まじく、良い勝負だなと、雄太は荒い息を吐きながら後ろから悔しさを噛み締めながら見ていた。
(勝てなかった……。アルと同じ馬主の馬が勝ったのを見てるだけだなんて……。やっぱり悔しいな……)
掲示板に確定ランプが点き、鈴掛は三着。雄太は九着でレースは終了した。
1992年の全てのレースが終わり、雄太と鈴掛は並んで馬場を見詰めていた。
「一年が終わったな」
「そうですね」
客が引けた場内では、まだ作業をしている職員達が忙しく働いていた。大盛りあがりをしていた場内の静けさは侘しく感じてしまう。
(こうやって作業してくれている人がいるから、俺達は安心して走れるんだ。感謝しなきゃだよな。な、春香)
競馬に関わる人達の全てに感謝をすると笑った春香が子供達と待っている滋賀のほうを向いて小さく笑う。
「まぁ、年が明けたら五日から中山と京都でレース始まるから、のんびりしてらんないけどな」
「オフシーズンなんてないですからね」
競馬は年中どこかで開催している。決まった休みは月曜日と元日のみ。元日には仕事を入れない雄太だが、月曜日にはテレビや取材などの仕事が入る時もある。
春香が妊娠中の時は月曜日の仕事をセーブしていた。子供達との時間を持ちたい気持ちもあり、なるべく仕事を入れないようにはしている。
「そう言えば、鈴掛さんの付き合ってる女性って……」
「何だよ。雄太まで気にするのか?」
「え?」
「純也も、梅野もメッチャ興味津々で訊いてくるんだよ。この前も酔わせたら口を割るんじゃないかって言って、朝まで呑まされたんだぞ?」
その様子が目に浮かび、雄太は思わず吹き出した。
「笑い事じゃないからな? 梅野の部屋で呑んでたんだが、ビールの空き缶とワインと日本酒の瓶でエグい事になってたぞ」
「で、結局言わなかったんですか?」
「あいつらに話したら、ロクな事にならんからな」
鈴掛の言葉で競馬関係か、それに近い女性ではないかと雄太は思った。
そうなら鈴掛の性格からしてその女性と結婚するまで口にしないではないかと考え、少し照れたような鈴掛の横顔を見る。
「鈴掛さんが結婚するぞって決めたら教えてください。きっと、春香もお祝いしたがるはずですから」
「そうだな。よし、帰るか。明日は朝から忙しくなるぞ」
「はい」
二人は並んで歩き出した。
雄太は全国リーディング一位、鈴掛は関西リーディング一位で1992年の全レースを終えた。




