679話
雄太は、12月末の有馬記念の騎乗依頼をもらっていた。アレックスは出走しないので、他の馬ではあるが。
いつものように、雄太は地下にあるトレーニングルームのシットアップベンチで腹筋をしていた。
(98……99……100……。フゥ……。次は……)
コンコン
「ん? 春香、良いぞ」
「お疲れ様」
ノックの音がして雄太が声をかけると、春香がドアを開けてニッコリと笑った。そして、手にしていたスポーツドリンクを差し出した。
「凱央と悠助はまだお昼寝から起きないと思うから、ちょっとだけ雄太くんと話したいなって思って」
「ありがとう」
春香のはにかんだ笑顔を見詰め、差し出されたスポーツドリンクを手にすると床に座った。春香は雄太の前に座る。
スポーツドリンクをゴクゴクと飲むとホッとする。
「うまぁ〜」
「水分補給忘れないでね?」
「夢中になると、つい忘れるんだよな。タイマーかけてんだけど」
「トレーニングの切り替えタイミングと水分補給のタイミングを間違えてるんでしょ?」
「ははは。バレてたか」
苦笑いを浮かべて、もう一度スポーツドリンクをゴクゴクと飲み汗を拭う。
「一生懸命な雄太くんが好きだけど、夢中になり過ぎて脱水症状おこしたら困るんだからね?」
「気をつけるよ。春香に今以上心配かけたくないしな」
「うん」
春香は、そっと雄太の手に自分の手を重ねた。
「どうかした?」
「私は、雄太くんの傍にいられて幸せだなって思って」
「俺も幸せだぞ? 優しくて料理上手で笑顔が最高に癒やされる春香と、可愛い子供達と毎日賑やかに暮らせてるんだからさ」
「えへへ。そうだね。毎日が幸せで溢れてるのが嬉しいな」
雄太が重賞を勝てないと叩く記事が出始めた頃から、春香は結婚する前に慎一郎に言われた事を何度も思い出していた。
『騎手の収入には波があるんだぞ? 食えなくなる時もあるかも知れないんだぞ?』
『知っているかも知れんが、この先も雄太が第一線で活躍出来る保証等ないのだぞ? それを知っていて言ってるのか?』
重賞が勝てないだけで勝ち鞍は増している。確かに収入は減ってはいるが、生活が出来ない訳ではない。
勝てたり勝てなかったりする事が当たり前の世界なのだ。
(私は、雄太くんを信じてるもん。誰が何て言ったって、雄太くんは日本一になるんだから。重賞だって三つも勝って凄いんだからね)
雄太の叩かれている記事を見てはベーっと舌を出していた。一度、凱央に見られてしまった事があった。上手く誤魔化したが、時折新聞や雑誌を読んでいる春香の顔をジッと見るので、覚えているかもとドキドキする。
(早く忘れてくれないかなぁ〜。子供っぽい事しちゃったもんね。恥ずかしい……)
そんな子供っぽい姿を見たのが雄太でなくて良かったと思った。
「あ、あのね。明日、クリスマスツリーの飾り付けをしようと思ってるんだぁ〜」
「ああ〜。もうそんな時期なんだな。今年は凱央だけじゃなく悠助もはしゃぐだろうなぁ〜」
昨年、凱央は遊んでいた最中にも思い出すたびにクリスマスツリーを見ていた。
「また、凱央の手形とオデコの跡がガラスにつくんだろうなぁ〜」
「悠助のもつくかもな」
窓に張りつくだびに、ペッタリとスタンプのようについた小さな手形とオデコのスタンプが可愛くて写真を撮ってある。
その横に悠助のスタンプも並ぶかもと思うと楽しみで仕方がない。
「てか、もう今年も一カ月ないんだよなぁ〜」
「そうだよね。何か早くない?」
「父さんぐらいの歳になると、俺達より倍速って感じらしいぞ? つい最近、御節食ったような気がするって言ってた」
一瞬固まった春香がケラケラと笑い出す。
「さすがに俺もそれはないだろって思ったんだけどな」
「うん。来年も、お義父さん達と過ごす事になるよね」
凱央だけの時も雄太の実家で待っていた。悠助と二人連れては無理だろうと想像が出来る。
(とにかく全国リーディング一位獲って、今年を締めくくる為に頑張らなきゃな)
雄太は春香の笑顔に最後まで頑張ると誓った。




