678話
チラチラと雪が舞いだし、飯塚はストーブのある事務所へと雄太達を招き入れた。
久し振りにアレックスとの時間を持たせてもらった春香は、深々と飯塚に頭を下げる。
「我が儘をきいてもらってありがとうございます」
「良いんだよ。春香さんが、ずっとアレックスの事を気にかけてくれてるって雄太くんから聞いてたしな」
アレックスが骨折をした時、春香は産後であったし、アレックスも北海道へと放牧に出されたから会う事が出来なかったのだ。
骨折が治って涼しくなった時、アレックスが帰厩した頃に会わせてもらおうかとも考えたが、アレックスは春香に会うと前掻きをするのが分かっているから躊躇した。
『完治して、調教が始まるぐらいまで会うのは我慢する。再発したりするかも知れないのに、前掻きさせたくないし』
春香なりに考えて、大丈夫だと思ったから、アレックスに会わせてもらえないかとお願いをしたのだ。
「もう年末のレースに出せるぐらいなんだが、馬主とも相談して、復帰戦は春にする事になったんだ。レースが決まったら、また応援してやってくれ」
「はい。精一杯応援させていただきます」
笑顔で答えた春香に飯塚は深く頷いた。そして、隅で遊ぶ雄太と子供達をチラリと見た。
「いずれはアレックスの仔にも雄太くんには乗ってもらいたいな」
「そうですね。私も楽しみにしています」
アレックスもいつかは引退する。それは春香にも分かっている。だが、アレックスの仔達に雄太が乗る可能性はあるのだ。その時は、また目一杯応援するだろうなと思った。
雄太達が帰宅した後、飯塚はもう一度アレックスの馬房へと向かった。
「何だ? もうしょぼくれてるのか?」
春香の姿が見えなくなったからか、アレックスは馬房の奥に引っ込んでいた。飯塚が声をかけると、首だけを向けて、直ぐそっぽを向いた。
「本当にお前って奴は」
「鷹羽さん達が帰った後は、こうなるのが通常になりましたね。あ、鷹羽さんと言うより春香さんか」
飯塚は、声をかけてきた厩務員と笑い合う。
「だなぁ〜。雄太くんが言っとった。騎手は背中に乗ってくるし、鞭で叩くんだから、馬にしたら嫌な存在かも知れないってな」
「まぁ、そう言われたらそうですけどね。でも、鷹羽さんって馬に好かれてるほうだと思いますけど」
騎手の中には馬に嫌われているのか、馬と相性が悪い者もいる。
「馬を尊重してるか、ただの生き物として見てるか……かもな」
「鷹羽さんのところは、夫婦揃って同じ考えだから上手くいってるんでしょうね」
「それは間違いないな」
舞い落ちる雪にキャッキャと喜ぶ子供達と仲睦まじく帰っていった雄太達を思い出しながら、飯塚は馬房を後にした。
自宅に戻った雄太達は体を温める為に風呂へと向かった。
「久し振りにアルに会えて、本当に嬉しかった。ありがとう、雄太くん」
「アルも嬉しそうだったな。凱央と悠助も」
「うん」
悠助の細い指がくすぐったいのか、たまにアレックスはクシャミのような鼻息を吐いていた。
「確か凱央もカームにやったよな?」
「そうだったね」
体を洗ってもらっている凱央は、何を言われているのか分からないといった顔で雄太を見ていた。
「覚えてる訳ないもんな」
「逆に覚えてたら怖くない?」
「確かに」
凱央は、ボディソープの泡を流してもらい、湯船に入れてもらうと湯に浮かべてある金魚やアヒルで遊びだす。
先に湯に入っていた悠助は、春香に抱っこされた状態で金魚に手を伸ばす。
「ウースケ、キントアショブ?」
「ウァウァ〜」
凱央は大きな金魚を悠助の手に持たせようとするが、悠助の手に余りポタリと落ちる。
「凱央、小さいほうを貸してあげてくれるかな?」
「アイ、マッマ。ウースケドウジョ」
「ダウダァ〜」
小さな金魚を手渡してもらって悠助が笑うと、凱央もニッコリと笑う。微笑ましいやり取りに、春香も体を洗っている雄太も嬉しくなる。
凱央が一人で風呂に入るようになるまで、こんな風に一緒に楽しくバスタイムを過ごせたら良いなと雄太達は思った。




