675話
11月に入り、冬らしい気温が続いて、トレセン周りの木々も落葉が進んでいた。
春香は日課にしている散歩をしていた。ベビーカーに悠助を乗せ、凱央はベビーカーの少し前を歩いている。ベビーカーに紐で結びつけてある輪投げの輪がある。それをしっかりと握りながら歩くのがいつものスタイルだ。
「マッマ、コエキェ〜。モッチェカエユ」
「うん、綺麗だね。持って帰ってパパにも見せてあげようね」
「アイ」
路上に落ちていた真っ赤なモミジを拾って春香に嬉しそうに見せる凱央と、興味深そうにベビーカーから身を乗り出す悠助。
「ンバババァ〜。ダウダァ〜」
「ウースケ、ミユ?」
凱央は悠助にモミジを見せてやっている。
「凱央、悠助が食べちゃわないように、少し離しててね?」
「アイ」
意味は分からないかなと思ったが、凱央は悠助に近づけ過ぎないようにしていた。
「アバアバァ〜」
「ウースケ、キエーネ」
「ダダダウ〜」
春香は二人の息子の微笑ましいやり取りを見ていた。
道路の端っこに立って会話をしている横に黒い車が停まった。
「春さ〜ん、散歩?」
「あ、塩崎さん。もう終わったんですか?」
「そっすよ。雄太は、厩舎に寄ってるから、もうちょい後じゃないかな?」
凱央が一生懸命背伸びしながら、純也の車を覗き込むようにしている。
「ウォウ〜、ウォウ〜」
「ダダァ〜」
「お〜、凱央〜。悠助〜」
その時、後ろから車が来た。
「あ、ヤベ。じゃ、またっす」
「あ、はい」
慌てて純也は寮のほうへと向かって走り去った。
「ウォウ、バイバイ〜」
「また遊びにきてもらおうね」
「アイ」
純也も健人も、時間があると雄太宅に来ている。その時に遊んでもらうのが凱央は大好きなのだ。
「じゃあ、パパが帰ってくるって事だし、お家に帰ろうっか?」
「パッパ、カエッチェクユ〜」
「うん。パパが帰ってきたら、一緒にお風呂入ろうね〜」
「アイ」
春香と子供達は、童謡を歌いながら自宅へと戻っていった。
自宅に戻ってきた雄太は小さな紙袋を下げていた。
「おかえりなさい。それ、なぁに?」
「ただいま。鮎川さんが岐阜の笠松競馬場に取材に行ってきたからお土産だって、わざわざトレセンに持って来てくれたんだよ」
紙袋には、『中津川』『栗きんとん』の文字があった。
「パッパ、オミヤエアニ?」
「栗きんとんだぞ。後で食べような」
栗きんとんと言っても、凱央には分からないようでキョトンとした顔をしていた。
風呂を済ませた後、栗きんとんの入った箱を開ける。凱央は伸び上がって覗き込んでいた。
「凱央、ちゃんと椅子に座ってね」
「アイ」
春香は小皿に一つ乗せてやり、半分に割ってやる。マジマジと見てからフォークで刺した凱央はパクリと口にした。
「パッパ、オイチィ〜」
「そうか。良かったな。俺も、これは好きなんだよな」
「私も大好き」
満面の笑みを浮かべながらモグモグと食べる凱央を見ながら、雄太も口に運ぶ。
春香はスプーンで少し掬って悠助の口元に近づけてみた。
「悠助、食べるかな?」
春香がそう言った瞬間、悠助はパクリと食べた。しばらく口を動かしていたが、突然大声を上げた。
「ンマンマンマァ〜‼」
「ウースケ、オイチィイッチェウ」
「う…うん。そうみたいだな」
雄太は悠助の歓喜の声に吹き出しながら、悠助の滝ヨダレを拭ってやる。
春香は笑いが止まらなくなり、悠助用のプラスチックのスプーンを握り締めている。
「ンマンマンマァ〜、ンマンマンマァ〜」
「はいはい。はい、アーン」
悠助の催促に、春香は薄っすらと涙を浮かべながら、また一掬い食べさせた。
「余程美味いって思ったんだな」
「うん。まさか、あんな大声が出るなんて思わなかったよ」
「だな。あ、後は俺が食べさせるから、春香も食べろよ?」
「ありがとう。鮎川さん、いただきます」
口に入れるとホロリと崩れる程に柔らかく優しい甘さに顔が緩む。
後日、凱央も悠助も気に入って食べていたと報告をもらった鮎川はご満悦だった。




