674話
9月、10月と勝ち鞍は上げられていたが、相変わらず重賞を勝てない雄太たったが、気持ちは落ち着いてきていた。騎乗依頼も減る事はなく、調教も頼まれているからだ。
早朝は肌寒くなってはいるが、昼間は丁度良い気温だなぁ〜と思いながらスタンド前を歩いていると、下川が笑顔で声をかけてきた。
「よう、鷹羽」
「下川さん。この前のレースの追い込み凄かったですね。おめでとうございます」
「ありがとうな」
下川は順調に成績を上げていて、雄太に嫉妬をして悪意に満ちていた頃とは雲泥の差だった。
憑き物が落ちたといった感じで、笑顔も柔らかくなっている。
「一昨日だったかな? 奥さんが子供さん二人連れて乗馬教室のほうに入ってったの見たんだけど、見学か何かか?」
「あぁ〜。小園さんの息子さんの教室の様子を見に行くって言ってましたね」
健人が遊びに来た時に、一度乗馬しているのを見に来て欲しいと言ったらしい。
「そういう事か。鷹羽んトコの子はまだ教室には入れないのになって思ったんだよな」
「さすがにポニーでも乗せるのは、まだ早いかもですね」
乗せられるとしたら、凱央のテンションは上がるだろう。降ろそうとしたら、降りたくないと泣くかも知れない。
体高の低いポニーならと考えない事もないが、降りたくないと駄々をこねる凱央を想像するだけで笑いが込み上げる。
「鷹羽のところの長男の凱央くんだっけか。スゲェ楽しそうにしてたな。完璧じゃないけど、ピョコピョコって感じのスキップもどきしてたぞ」
「凱央、馬が好きなんですよね。餌やりしたがるし、触りたがるんですよね」
他の動物とも触れ合わせてみたが、やはり馬が好きなようだ。サラブレッドだけでなく、ポニーにも撫でたり、餌をやったりしていた。
「さすが鷹羽の子供だな」
「ははは。よく言われます」
今まで雄太が乗っていた馬と何頭も会わせていた。そのたびに興味津々で
目を輝かせ、厩舎の調教師に許可をもらい触らせたりしてきた。
「いつか鷹羽親子が一緒のレースに出るのを、俺も楽しみにしてるよ」
「ありがとうございます」
下川は優しい笑顔を浮かべた後、スタンドから出てきた調教師と共に歩き去った。
(今ならあの頃の下川さんの気持ちが分かる……。勝てない焦りや苛立ちなんかを抱えた辛さとかさ)
雄太自身は誰かの所為にしたりする性格ではないから、悪口を言ったりする事はない。それでも下川の心情が分かってしまった。
今は踏ん張り時だなと、雄太は青く澄んだ空を見あげた。
自宅に戻り、凱央の出迎えを受け、悠助をかまう。
寝返りが上手く出来るようになったから、悠助はコロコロと転がりながら雄太にかまってくれと催促をする。
「悠助、ちょっと待てって。ズボン引っ張るなって」
「ンバァ〜、キャウウォ〜」
「調教して汗だくだから、あんま触るなって〜」
猫のようにじゃれているような悠助と、帰宅した雄太と風呂に入るのを待っていた凱央に囲まれて幸せだなと感じる。
「凱央。お着替え取りにきてくれるかな?」
「アイ。オキギャエイユノ〜」
小さなバスケットに、凱央の着替えと悠助の着替えを入れてやると、それを持って風呂場へ歩いて行く。
雄太は悠助を抱き上げ、春香と一緒に凱央の後を追った。
「凱央、歩くの速くなったな」
「うん。走るのも速くなったんだよね。でも、待ってって言ったら待ってくれるから」
「まだちゃんと発音出来ないけど、意味は分かってくれてるんだよな」
脱衣所の前で、凱央は雄太達のほうを見て待っている。
「パッパ、アヤクアケチェ」
「はいはい」
雄太がドアを開けるとトテトテと進み、服を脱ぎ始める。また絡まるのではないかと様子を見守りながら、春香は悠助の服を脱がせていく。
「ねぇ、雄太くん。凱央が悠助ぐらいの時より、悠助の太ももしっかりしてない?」
「え? あ……確かにな。プニプニ感っていうよりムッチリ感って感じだな」
子供によって成長が違うのは理解しているが、こんなに違うのかと思うと感慨深い。
悠助がどんな風に成長していくか楽しみな雄太だった。




