672話
9月7日(月曜日)
雄太宅のリビングでは、子供達が純也が持って来てくれたオモチャで遊んでいた。
凱央は電池式の電車のオモチャを走らせ、悠助は床に転がり、自身より大きな熊のぬいぐるみをポフポフとしている。
(あ〜。何だろな。この平和で癒やされる空間。俺、幸せだよな)
確かに重賞は勝てていない。だが、勝率は高い。だからといって満足をしている訳ではないという複雑な心境だった。
家庭は上手くいっている。競馬で勝てていないのは重賞だけで勝ち鞍は上げている。
(あんまり思い詰めなくて良いよな)
純也だけでなく、鈴掛や梅野も批判記事に対して怒りが沸いたようだ。
『言葉はワリィが外野がゴチャゴチャ言ってるだけだって聞き流せよ? 分かんねぇ奴が言ってんならまだしも、内情を分かってて言ってんだから、質が悪いんだよな』
『俺達は、雄太がどれだけ凄い奴だって知ってるし、努力してるのも分かってるからなぁ〜? 勝てない時は、どうしょうもないんだしさぁ〜。春香さんと子供達との生活をしっかり支えてんだから、雄太は立派だぞぉ〜?』
優しく頼りになる先輩達に励まされ、自宅では癒されている。
(大丈夫だ。馬との巡り合わせさえあれば、俺はやれる。その為の努力は惜しまないさ)
レースを何度も見て反省点と、他の騎手の良いところを見て盗み、馬の癖を頭に叩き込む。
全ては勝つ為。そして、それは春香と子供達の笑顔に繋がるのだ。
自分の為だけではないからこそ、頑張れると思っている。
春香はキッチンで夕飯の野菜の下拵えをしていた。何度も子供達の様子をチラ見していたが、静かな事に気がついた。
「あれ? 悠助寝ちゃってる」
「ん? あ、凱央もだな」
昼食後だから眠くなったのだろう。眠いと泣く事もなく床にコロンと転がって寝てしまったようだ。
春香は手を洗って、そっと悠助を抱き上げた。雄太は春香の部屋のドアを開ける。
「凱央は俺が連れてくるよ」
「うん」
春香はそっとベッドに悠助を寝かせ、雄太はその少し離れた所に凱央を寝かせた。
スヤスヤと眠る二人の子供達の寝顔に、雄太と春香は寄り添って微笑んだ。
子供達が眠っている間に、また雄太はレースの見返しをしていた。時折、子供達が起きていないか耳を澄ましていたのだが、ふと気づくと春香の姿が室内になかった。
(あれ? 春香何処に……。トイレか?)
キョロキョロと見回していると、窓の向こうに春香の姿があった。近寄って窓を開ける。
「んしょっ」
「春香、部屋にいないと思ったら庭にいたのか」
「あ、雄太くん。凱央と悠助が昼寝してる間にプランターの片付けしちゃおうと思って」
夏野菜を育てていたプランターの数々の枯れ茶色っぽくなった茎などが、夏の終わりを告げているように思える。
「手伝うよ」
「これが最後だから大丈夫。それに、雄太くんはレースの見直ししなきゃ」
「それなら、もう終わったよ」
「タイミングズレちゃったね」
「だな」
お互いの顔を見合わせて笑い合う。春香は枯れた茎を土から引っこ抜き、剪定バサミで短く切った。
「お義母さんのぬか漬け美味しかったね」
「確かに」
この夏、春香の野菜作りを一番喜んでいたのは、ぬか漬けをしている理保だっただろうと思う。否、一番は慎一郎かも知れない。
採れたての胡瓜や茄子を漬けてもらい、一日の終わりは酒とぬか漬けだと言ってご機嫌だったと、理保は笑いながら言っていた。
「ここに引っ越してきてもらって本当に良かったぁ〜」
「俺は不安だったけどな」
「んもぉ〜。直ぐそういう事を言うんだから」
残っている秋茄子と、まだ収穫出来そうな獅子唐を何にしようかと考えながら、ウッドデッキ脇にある水道で手を洗って室内に入った。
「春香、顔に土がついてるぞ?」
「茎を引っこ抜いてたから土が跳ねたのかな? 洗ってこなきゃ」
「汗かいてるだろ? ついでに風呂入ってきたら良いよ。子供達は任せとけ」
「うん。お願いね」
頼れるパパになった雄太の言葉に甘えて、春香は久し振りの一人での入浴を満喫した。




