667話
6月、勝ち鞍は上げられていたが、G1を始め重賞の勝利に手が届かなかった。
それでも、前に向く姿勢は変わらずにいる。
(ん〜。ここは……やっぱり外に出したほうが良かったんだよな。まぁ、後続馬がこれだけ加速してるから、もう少し前か後だな)
リビングでレースの見返しをしていた雄太は、アイスコーヒーをゴクリと一口飲んだ。
「フヤァ……フヤァ」
「ん?」
キッチンで洗い物をしていた春香が振り返る。その春香を制し、雄太はサッと立ち上がりベビーベッドで寝ていた悠助の様子を確認した。
悠助は目尻に涙をいっぱい溜めている。
「どうした、悠助。さっき、おっぱい飲んだだろ? オムツか?」
「ウヤァ……」
悠助の泣き声を聞いた凱央は、遊んでいた積み木を放り出してトテトテとベビーベッドに駆け寄った。
「ウースケ、ウースケ」
「ほら、お兄ちゃんが来てくれたぞ」
悠助のオムツを替えながら、凱央に笑いかける。
「ウースケ、ニータンキチャ」
「フヤァ……」
オムツを替えた雄太は、手を洗って来た後、ソファーに座って背中をトントンとリズム良く叩く。凱央はソファーによじ登り、ソファーに置いてあったピンクのぬいぐるみを悠助に見せている。
「ウースケ、イイコイイコ」
「凱央も良い子だな。立派なお兄ちゃんだぞ」
雄太に褒めてもらい、凱央はニコニコと笑う。
しばらく、凱央は悠助にぬいぐるみをフリフリと見せている。悠助の目はそれを追いかけていた。
「アバァ……」
「ウースケ、エンエンナイ」
悠助はフヤフヤと泣いていたが、しばらくするとスースーと眠った。
「ありがとう、凱央。ありがとう、雄太くん」
「おっぱいやる以外は、俺でも出来るようになったからな」
寝かしつけ、オムツ替え、沐浴と雄太は上達し、春香は安心して任せられるようになっていた。
「凱央、おいで〜」
「アイ、マッマァ〜」
積み木で遊んでいた凱央は、トテトテと走り寄り春香に抱きついた。春香はヒョイと抱き上げて、ギュッと抱き締める。
「マッマ、シュキ〜」
「ママも、凱央大好き〜」
雄太は、ほのぼのとした春香と凱央の様子に癒されていた。
5月と6月と重賞を勝てずにいた雄太への風当たりは強くなっていた。
自宅に戻って、ソファーに座ってボーっとしてしまっていた。
(勝ち鞍は上げているんだけどな……。そりゃ、重賞も勝たなきゃってのは分かってるけどさ……)
危惧しているのは、勝てない理由を春香や子供達の所為にされる事だ。悠助が生まれてから勝ててないのは事実だが、『悠助の所為』と言われるのは違うだろうと思っている。
苛立ちは募るが、それを顔に出さないようにしていた。だが、春香にはバレバレだったのだ。
「いつも絶対に勝てる人がいるなんて思ってるのかな? そんなに勝率が高い騎手っている? 何年記者やってる人か分からないけど、一勝の重みとか、一つ勝つのがどれだけ大変なのか分からない人なんだね」
かなり辛辣な事をツラツラと口にした春香に、雄太は唖然とした。
腕に悠助を抱きながら寝かせつけをしている姿と、セリフの鋭さのギャップに、つい吹き出してしまう。
「プッ。ク……ククク」
「え? 私、何か変な事言った?」
「いや、そうじゃなくて」
床に広げた積み木で遊んでいた凱央は、急に笑い出した雄太を見上げていた。
「パッパ?」
「何でもないよ、凱央。遊んでてな?」
「アイ」
薄っすらと浮かべた涙をゴシゴシと指で拭った雄太は、春香のほうを見た。
「ありがとうな、春香。俺の言いたい事を言ってくれて」
「うん。間違ってなくて良かったぁ〜」
外に向けて発言出来る事と言ってはいけない事があるのは、雄太は分かっている。そして、春香も多少ではあるが分かっている。
「雄太くんが記者の人達に言えない事を溜め込んで、胃を悪くしたりしたら困るし、私に話してね?」
「そうだな。ありがとうな。俺も聞いてもらえたら助かるよ」
外に出せない話は、本当にたくさんあるから、吐き出せるのはありがたいと雄太は嬉しくなり、春香の肩を抱いた。




