664話
5月31日(日曜日)
東京競馬場 9R 第59回東京優駿 G1 15:30発走 芝2400m
東京競馬場では、東京優駿が開催されていた。賑やかな観客席やデコレーションされた競馬場やゴール板が気分を盛り上げている。
だが、雄太は騎乗依頼がなくモニターを眺めていた。
(目の前でダービーが開催されてて、それをモニターで見てなきゃならないなんて……拷問だ……)
パドックを見ていても、輪乗りを見ていても、胸にくるものがあった。
(出たいって思っても出られる訳じゃない……。そんな事は百も分かってる……。ダービーに出られるのは、良い新馬との出会いが必要だってのも分かってるけど……)
ジッと見るモニターの中で雄太が注目していたのは梅野だ。
金曜日に調整ルームに入ってからも、梅野は気合いが入っていたのだ。
「今年こそ獲りたいぜぇ〜」
「梅野さんの歳で獲れたら凄いっすよね?」
「まぁなぁ〜。ダービーって、本当に良いよな。雰囲気とかもさぁ〜」
「分かるっす。ダービーと有馬記念は特別っす」
いつものように缶コーヒーを飲みながら、雄太の部屋でウダウダと話していた。
「ダービー獲れたら、目一杯ド派手に祝勝会したいなぁ〜」
「それ、分かります」
雄太は、ミニアルバムから顔を上げた。
真剣に見ていたのは、家族全員で撮ってもらった写真。もちろん、悠助の寝顔のもある。
「雄太もダービー獲りたいって言ってたもんなぁ〜」
「騎手になりたいって思った時から、ずっと思い続けてますから」
海外で乗りたいのもあるが、やはりダービージョッキーと言われたいと思っている事に変わりはなかった。
ダービーはデビュー戦から、競馬をしっかり理解して強く賞金を稼げる馬との巡り合わせだ。いつか、そんな馬と出会いたいと思いながら、張り切る梅野の姿を羨ましく見ていた。
18頭立ての馬群の中の梅野の姿を目で追っていく。
(梅野さんのコース取り、やっぱり上手いな……)
チャラい見た目とは相反して騎乗技術は先輩達からも一目置かれている。
頼りになる兄貴分で、騎手として一流だと尊敬している梅野のいつもの赤い手袋が少し手綱を緩めたのが見てとれた。
(良い馬と巡り合えたのもラッキーだよな。俺も、今年の新馬の中からダービーに行けるような馬と巡り合いたい)
憧れと羨望の眼差しで、モニターをジッと見ていた。
「羨ましいよな〜」
声をかけてきたのは、8Rのむらさき賞に出走していた純也だ。頭から水をかぶったらしく、赤いタオルでゴシゴシと拭いていた。
「ソル。ああ、羨ましくて羨ましくて目眩がしそうだ」
「目眩かよ」
「俺、やっぱりダービー獲りたい。来年にでもって思う」
雄太の真剣な声に、純也は雄太らしいなと思っていた。
モニターの中、直線を駆ける馬達と少しでも上の順位を目指して騎手達が追っている。
(梅野さんっ‼)
梅野の赤い手袋が鞭を振る。その度に馬が前に前にと速度を上げていた。
自身が出場している訳でもないのに、雄太の心は青々としたターフを駆けている。
(もう少しっ‼)
先頭の馬がゴール板を駆け抜けると嵐のように歓声が場内に湧き上がった。
「梅野さん、お疲れ様でした」
「ああ。頑張ったんだけどなぁ……」
「はい」
惜しくもハナ差で三着だった梅野は笑って答えた。
笑ってはいるが、やはり残念な気持ちがあるのだろう。悔しさは隠し切れていない。
「来年も出場出来るように頑張らないとな、雄太ぁ〜」
「ええ。俺も、来年は出られるように頑張ります」
来月から新馬のデビュー戦が始まる。一頭でも多くの騎乗依頼をもらい、一つでも勝ち鞍を上げなければならない。
ダービーを目指しての戦いは、もう直ぐ始まるのだ。
「純也が最終レース走り終わったら一緒に帰ろうぜぇ〜」
「はい」
高く手を挙げて引き上げていく梅野の後ろ姿を見送って、雄太は最終レースの純也を見守った。
その胸の中では、来年のダービーへの思いが熱く燃えていた。




