661話
5月3日、東京での騎乗を終えた雄太はG2の勝利の喜びを噛み締めていた。
しかし、木曜日に退院するはずの春香が入院が延び、少し不安な気持ちを抱えながら新幹線に乗っていた。
(さすがに滋賀に着いてから病院に行く訳にもいかないよな。とっくに面会時間過ぎてるし、春香も寝てるだろうからな)
『月曜日には退院出来る。検査の結果次第だけどな』
重幸は心配しなくても良いとは言っていた。そもそもが、重幸の過保護が発動した所為で入院が延びたのだ。
水曜日
昼休みだからと言って病室に悠助を見に来た重幸に『春香、変わった事はないか?』と訊かれたのが事の始まりだった。
「たまに、ちょっとフラッとするんだけど、貧血かなぁ?」
「フラッとしただとぉ〜っ⁉ 検査だ、検査っ‼ 万が一の事があったら大事だぞっ‼」
「お……伯父さん、軽い貧血だと思……」
「採血だ、採血っ‼ 悠助は直樹に見させておいて、結果が出るまで部屋で寝てるんだっ‼」
「重幸伯父さんってばぁ〜」
焦る春香をよそに、採血の準備の指示を始めた重幸の様子に、直樹はフリーズしてしまった。
「お……お父さん、重幸伯父さんを止めてよぉ〜」
「え? あ……うん。まぁ、とりあえず採血して検査したほうが良いぞ? 悠助を抱っこしてる時にフラついたら困るだろ? まぁ、大袈裟だなとは思うけど一応な?」
「うぅ……」
春香に服を引っ張られた直樹は、ハッと我に返り、少し考えて答えた。悠助に何かあればと言われては、春香は頷くしかなかった。
検査の結果は軽い貧血だったのだが、鉄剤の投与をすると言う重幸の判断で退院は月曜日になったのだ。
「春香、荷物はこれだけだな?」
「うん。ありがとう、雄太くん」
月曜日の朝から貧血の検査と悠助を診てもらってようやく退院許可をもらった。
「マッマ、オウチカエユ?」
「そうだよ。今日から一緒に寝ようね」
「ジィジ、バイバイ?」
「凱央がジィジとお風呂入ったり、一緒に寝たい時はジィジのお家に行っても良いんだよ」
「ン」
どうやら、春香が入院している間に、直樹と里美との暮らしが楽しかったようだった。
夕飯を病室で一緒に食べた後、平日は雄太と帰り、週末は直樹か里美と帰って行った。
(帰りたくないって泣いたらどうしようかと思ってたけど、バイバイって帰ってくれて良かった。夜も泣かずに寝てくれてるみたいだし)
そうは思ったものの、少し淋しく思ってはいた。
(ママが恋しいって泣いてくれないのもなぁ……。泣いて離れないのも困るけど、アッサリと帰られるのもなぁ……)
今夜は、どっちの家で寝ると言うかなと考えながら、悠助にぬいぐるみを見せている凱央を見詰めていた。
重幸達に見送られ、雄太達はマンションに戻った。
悠助をベビーベッドに寝かせ、ベッドメリーをつける。
「悠助、良い子にしててね」
春香は洗濯を済ませようと床に置いたバッグのほうを見ると、凱央がズリズリと運んでいた。
「と……凱央?」
「オテツアイシユ」
「お手伝い……する? え? え?」
春香が目を丸くして見ていると、凱央は引きずりながら脱衣所の前まで運び終えた。
「パッパァ〜」
「凱央、良い子だな。えらいぞ〜」
「ン」
しゃがんだ雄太は、凱央の頭を思いっきり撫でた。
「雄太くんがお手伝い教えたの……?」
「ああ。まだ簡単なのしか出来ないけどな。茶碗やフォークとかを運んだりとかさ」
「私が入院してる間に、凱央が凄く成長したんだぁ……」
「だな」
春香も膝をついて、凱央の頭を撫でてギュッと抱き締めた。
「凱央、ありがとう。ママ嬉しいよ」
「マッマ、シュキ〜」
「ママも凱央好きだよ〜」
ギュッと抱き合っている春香と凱央を優しい笑顔で見ていた。
「凱央、今日はどこで寝るんだ?」
「ン〜」
風呂に入れてもらい、雄太にパジャマを着せてもらいながら凱央は少し考えている。
「マッマ」
「凱央……」
春香はトテトテと駆け寄って来た凱央を抱き締めた。雄太は春香に甘えている凱央の姿に優しく微笑んでいた。




