653話
純也のリクエストで、雄太は東雲に車をつけた。
純也は停車した車から降り、店内に向かった。自動ドアが開いた瞬間、受付にいた春香が顔を上げる。
「いらっしゃ……あれ? 塩崎さん」
「ウォウ〜」
純也の姿を見た凱央がトテトテと近づいていく。
「塩崎さん、おめでとうございます」
「サンキュっす」
春香に祝福され、純也は満面の笑みを浮かべた。
その場にいた客達は、夕方にG1を獲った純也だと気づき驚いていた。
「え? え?」
「もしかして……」
ヒソヒソと話す客達に、純也はニッと笑ってペコリと頭を下げた。驚いたのは客達だ。
「すんません。お騒がせして」
「あ……いや」
「あ〜っと……おめでとう」
「ありがとうございます」
純也は凱央の頭を撫でて抱き上げると、受付カウンターに近づいた。そこに、駐車場に車を置いてきた雄太が入ってきた。
「ただいま。ソルが春香と凱央に会いたいって言うから連れてきたんだ」
「春さんに直接報告したかったんすよ」
純也と知り合ったのは雄太と東雲に来た時だ。二人共デビュー前で、まだあどけない顔と坊主頭だったなと春香は思い出しながら笑った。
「本当、おめでとうございます。あ、ここに飾ってるサインも新しいの書いてもらわなきゃですね」
「え? あ、そっすね」
純也が壁に飾っているサインを見上げる。
「あら、塩崎くん。おめでとう」
「お? おめでとう、塩崎くん」
二階の倉庫から備品を取ってきた直樹と里美が、カウンターで話している純也に声をかける。
「あざまっす」
初めてG1を獲り、今までとは違う自信に満ち溢れ誇らしげな純也に直樹達も目を細めた。
「G1の記念のサインしてもらえるか?」
「もちろんっす」
直樹に訊ねられ、純也はいつもの人懐こい笑顔を見せた。
「えっと……」
『初G1勝利記念』
そう書いた純也は、サラサラとサインをした。
『第52回桜花賞 1992年4月12日』
「うへぇ〜。何かメチャ緊張したっす」
「ありがとうな、塩崎くん。デビュー前から見てきたから、何か感慨深いよ」
「うっす。俺、東雲には世話になってるっすからお安い御用っす」
照れくさそうに言いながら笑う純也に、皆が優しい笑顔になった。
「ウォウ〜」
「どうした、凱央」
声をかけられた純也が凱央のほうを見ると、大きな白い箱を抱えていた。ピンクのリボンが揺れている。
「ウォウ、メート」
「と……凱央……」
膝をついた純也は、凱央から箱を受け取った。
「ありがとうな、凱央」
「アイ」
純也が雄太と春香のほうを見るとニコニコと笑っていた。
「ちゃんと、チョコのプレートに『祝初G1優勝』って書いてもらったぞ」
「雄太……」
「まぁ、急だったから、凄く可愛い子供向けのバースデーケーキみたいなのしか残ってなかったんだけどな」
直樹達と話している時、気がつけば姿が見えなくなっていたのは分かってはいたのだが、まさかケーキを買いにいっていたとは思っていなかったのだ。
「サンキュ、雄太。ありがとうっす、春さん」
「ああ」
「ほんの気持ちです」
ニッと笑う雄太に凱央はトテトテと近づいた。雄太は膝をついて目線を合わせて凱央の頭を撫でた。
「凱央、上手にどうぞ出来たな。えらいぞ」
「アイ」
雄太に褒めてもらい、凱央は嬉しそうに笑った。
「塩崎さん、本当に嬉しそうだったね」
「やっぱりG1って特別だからな」
寮まで送っていく時も、純也は後部座席に置いたケーキの箱を何度もチラチラと見て、ニコニコと笑っていた。
「雄太くんも初めての時、嬉しそうだったもんね」
「そりゃ、G1初勝利の上に春香にプロポーズ出来るってのがあったからな」
あの時があったから、今の二人があり、二人の間でスヤスヤ眠る凱央がいる。そして春香の大きな腹には、二人目がいるのだ。
「今回はソルの背中を見る事になったけど、次は勝つぞ」
「うん。楽しみにしてるね」
「ああ」
まだ生まれそうにない二人目をそっと撫でながら、雄太は心の中で再び親友の勝利を祝福していた。




