64話
「はい。梅野さん、いただきます」
そう言ってから一口飲む。
「お代わりが欲しいなら言えよぉ~? 今更遠慮なんてすんなよなぁ〜?」
「はい」
梅野は場の空気を変えるのも上手い。
わざとらしさの欠片もなくサラリと変える。
空気を読むのが上手い上に嫌味がなく、世渡りも上手いのだろうなと 慎一郎も言っていた。
(やっぱり美味しいな……。喫茶店で出しても人気になりそうなぐらいに美味しい)
すっかり冷めてはいたが、やはり梅野の淹れてくれるコーヒーはいつも美味しいと雄太は思った。
前に、なぜ美味しいコーヒーが淹れられるのかと訊いたら、豆から挽いていているとか、水にも拘っていて休みの日にどこか水を汲みに行っていると言っていた。
よく分からなかったが、雄太も純也も『必ず一週間に一度は飲みたくなる味』だと思っていた。
(そう言えば、市村さんはブラックは苦さに意地悪されてる気がして苦手だって言ってたなぁ……)
足の最終チェックの日の事を思い出した。
春香は、雄太にはブラックを持って来てくれたが、自分の分は カフェオレだった。
(いつか市村さんに、梅野さんが淹れてくれたコーヒー 飲ませてあげたいな。梅野さんの淹れてくれたブラックしか飲めないって事にもなりそうだけど)
いつの間にか春香の事を考えている自分に気付き、雄太はどれだけ春香を好きになっているのかと思うと少し頬が赤くなる。
(俺、いつの間にこんなに市村さんの事を好きになったんだろう……。俺、年上の女の人を好きになるとか思った事なかったな……。俺、子供っぽいとか言われて来たし、彼女が出来たとしても同級生か年下だろって皆に言われて来たしなぁ……。自分からデートに誘うとか思ってもなかったぞ。しかも無意識だったしな……)
何年もの間、好きな女の子の一人もいないなんて、雄太ぐらいの歳では不思議がられてもおかしくはない。
過去の恋愛を知っている純也ですら、『付き合うとか別にして、好きな女の子ぐらいいても良いのに』と何度も言っていた。
(デート……かぁ……。本当、市村さんと乗馬行きたいな……。色々教えてあげたい。馬に関しての事なら、俺は市村さんより知識あるからな。てか、私服の市村さんってどんな感じなんだろう……? 可愛い系……とか……?)
想像すると気になってしまった。
「あのぉ……、梅野さん」
「ん~? どしたぁ〜?」
梅野が顔を上げて雄太を見る。
「市村さん、本当に阪神に居たんですよね? 人違いとかじゃなくて」
「あぁ、居たよぉ~。いつもの施術服……ケーシーだっけ? あれ着てる時とは全く雰囲気違うんだけど、俺は何度も私服の市村さんに会った事があるから間違いないぞぉ〜。しかも、可愛い女の子は絶対に間違えない自信あるからなぁ〜。あの日の市村さんは、オフホワイトのダッフルコート着て、髪はポニーテールにして青いリボン着けてたぜぇ~。 」
梅野がニコニコと笑いながら教えてくれる。
(市村さん、普段はポニーテールにしてるんだ……。プロの目をしてない時なら似合いそうだな。てか、梅野さんは私服の市村さんに会った事があるんだ。羨ましい……)
施術の邪魔にならないように、春香は仕事中は髪をキッチリとまとめていた。
雄太には、まとめられた髪をほどくとどれだけの長さか想像は出来なかったが、ポニーテールの春香を想像すると笑みが溢れた。
そんな雄太を見て、鈴掛は フフッと笑った。
(こいつ、本当に分かりやすい奴だよな。今、何を考えてるかバレバレだぞ。可愛い奴)
「おっさんと一緒だったけどねぇ~」
おもむろに梅野が特製爆弾を投下した。
「おっ……おっさんっ⁉」
驚きのあまり、雄太の声が裏返った。




