630話
12月7日の中山競馬場でも、12月8日の阪神競馬場でも一勝も出来なかった雄太は、改めて勝つ事の難しさを噛み締めていた。
(ん……。全国リーディングヤバそうだよな……。関西リーディングもだけど……。けど、最後まで諦めたくはない)
六日間の騎乗停止の影響は、やはり勝ち鞍に大きくのしかかっていた。
「パッパァ〜、コエ」
「ん? これか? こうだ〜」
「ウキャウ〜」
リビングで凱央と遊んでいると気分が上がる。
遊園地で手に入れた車輪のついた馬のオモチャの背に熊のぬいぐるみを乗せてやる。
それを引っ張ってトテトテと歩いていたと思っていると、今度は馬の手押し車に乗りガーガーと走っている。
「パッパァ〜、オチチャ」
「よしよし」
ただ乗せているだけなので、熊のぬいぐるみは直ぐ落ちる。その度に雄太は乗せ直してやっていた。
「凱央、楽しそうだね〜」
「そうだな。あ、ありがとう」
春香が淹れてくれたコーヒーを受け取り、ソファーに座る。
「マッマ、ンマタン」
「凱央は、お馬さんに乗るの上手だね〜」
「ン」
その時、電話が鳴った。
「俺が出るよ」
「うん」
雄太が子機を手にして二言三言話すと、顔が真剣になり子機を手にしたまま春香の部屋に入った。
(どうしたんだろ? 凱央が遊んでて聞きにくいっていうのもあるんだろうけど、すごく真剣な顔をしてた……)
しばらくすると、雄太は春香の部屋から出てきて、子機を戻して小さい溜め息を吐いた。そして、ソファーに座り春香を見た。
「春香、盗聴犯が捕まったよ」
「え?」
雄太の言葉に、春香は表情が固くなった。
「俺の誕生日のプレゼントが送られてきてた中に不審なのがあったって聞いてたんだ。それの追跡調査をしてくれてて、ようやく犯人を特定出来たってさ」
「そう……誕生日の……」
誕生日のプレゼントなら、普段よりたくさんの物が届く。その一つ一つを確認して、どこから送られてきたのかチェックして、送った場所、送った人物を特定するのは骨の折れる調査だっただろう。
「まだ、取り調べが始まったばかりだから詳しい話は出来ないけどって」
「うん。とにかく捕まって良かったね。雄太くん、お疲れ様」
心労を抱えていたのは春香も同じだろう。それなのに笑って労をねぎらってくれる。
「これで、心配事の一つは片付いたな」
「他に何かあったっけ?」
「春香の出産だよ」
「まだ先だってばぁ〜」
「そんな事を言っててもあっという間だぞ?」
まだ犯人がどういう意図を持って盗聴器を仕込んだ物を送りつけたのかは分かっていない。初犯であれば大した罪にはならないかも知れない。
それでも、見えない恐怖に怯えて暮らすよりは良いだろう。
「はぁ〜。何か力が抜けたな」
遅々として進まない状況に、雄太も心が疲れていたのだろう。
隣に座った春香の太ももに頭を預けた。
「パッパ、ネンネ?」
「そうだぞ。ママの太ももには癒やしの力があるんだ」
「ウ?」
春香の太ももを枕に寝転ぶ雄太の前に立ち、凱央は不思議そうな顔をする。雄太が手を伸ばして凱央の頭を撫でていると、また電話が鳴った。
「ん? 何か伝え忘れでもあったのかな?」
雄太が起き上がり電話に出る。
「……あ、父さん。うん……うん……。ちょっと待って」
通話口を押さえた雄太が春香のほうを見た。
「父さん達が話があるから、夕飯を一緒にって言ってるんだ」
「お義父さんとお義母さんが? うん。私は大丈夫だよ」
春香が答えると、雄太は頷いた。
「春香は大丈夫だって。……うん、……うん。分かった。じゃあ、用意したら行くよ」
子機を戻した雄太は、放置していて冷めてしまったコーヒーを飲み干した。
「何だろな? 何か急ぎで話したいって事なんたけど」
「ん〜。全然、想像出来ないね。時期的には凱央の誕生日の事とか……?」
「それぐらいしか思いつかないな。けど、まだもう少し先だぞ?」
「だよね?」
盗聴犯の話もついでにしておこうと考えながら、出かける準備をして車を鷹羽家に向かわせた。




