629話
11月29日(金曜日)
阪神競馬場の調整ルーム。
ゴロゴロしながら、会話は来月末に開催される有馬記念の話になる。
「雄太はもちろんアレックスだろ?」
「ああ。馬主さんから話もらったしな」
「スッゲェ、雄太の騎乗技術買ってくれてんだな」
「ありがたいって思ってる」
純也は缶コーヒーの空き缶を弄びながら話す。雄太は、壁にもたれてミニアルバムを手にしている。
約一ヶ月前、騎手人生初の大やらかしをした雄太に、馬主は怒る事はなかった。
「あの馬主さんってさぁ〜。雄太が降着して騎乗停止になった時に物申してくれたんだって聞いたぞぉ〜?」
「そうなんですよ。何か『納得出来ないっ‼』って言ってくれたようで……」
結局は受け入れられず雄太には騎乗停止処分がくだった。
厳しい処分ではあったが、雄太なりに改善すべき点や今後の騎乗に対しての向き合い方を考える時間は取れた。
「まぁ、裁定委員の考え方次第だからな」
「俺も色々考えたんだ。だから、良い時間は過ごせたと思うんだ。一番喜んでたのは凱央だけどな」
「あ〜。毎日一緒にいるのって初めてかぁ〜」
昼間は仕事でいないという事は少しは分かっているのではないかと思っていた。だが、荷物を持って出て行く事がない事で、凱央は雄太にベッタリだった。
騎乗停止明けで荷物を持った雄太が玄関に向かうと大泣きをしたぐらいだった。
「おう。揃ってたか」
「鈴掛さん」
ドアを開けて入ってきたのは、鈴掛だ。手には、ビニール袋を下げている。
「どこに行ってたんですかぁ〜?」
「時間ギリギリなんて珍しいっすよね?」
純也と梅野に言われ、ニャッと笑った鈴掛は皆の前にビニール袋を置いた。
中を覗き込むと箱がいくつか入っていた。
「俺の同期の奴が北海道の牧場に行ってんだよ。久し振りに栗東に戻ってきてたから話込んじまっててな。土産だってもらったのをそのまま持ってきたんだ」
「お菓子っすかっ⁉」
土産イコール菓子だと言う発想になるのが純也らしい。
「お前なぁ……。斤量オーバーで明日乗れなくても知らないからな?」
「大丈夫っすよ」
ビニール袋をひっくり返し中身を出した純也がガックリと肩を落とす。小さめの箱がいくつも入っていた。
「何すかっ⁉ 熊の缶詰めって⁉」
「へ? 熊……?」
純也が手にしていたのは、パッケージに熊のイラストのある缶詰め。
覗き込んだ雄太が一つ手にすると描いてあるのはアザラシ。
「アザラシの……缶詰め……? こっちのはトド……」
純也の頬がピクピクと引きつる。
「酷いっすよっ‼ 俺、お菓子だと思ったのにぃ……」
「俺は、菓子だなんて一言も言ってないぞ?」
「……言わなかったっすか……?」
ウルウルと鈴掛を見る純也に雄太と梅野がゲラゲラと笑う。
「だって、北海道土産って聞いたらバターサンドとかクッキーとかチョコレートだと思うじゃないっすかぁ……」
「お前なぁ……。まだ現役で騎手してる俺に、そんな土産は買って来ないだろうが」
「……そっすね」
早合点をし、一人で盛り上がった純也は手にした缶詰めをジッと見詰めた。
「熊って美味いっすか?」
「さぁな? 俺も食った事ないから分からん」
「……アザラシは? トドは……?」
「食いたかったら食って良いぞ?」
純也が食べ物を目の前にして、こんなに戸惑っているのは初めてで、梅野は涙を滲ませて笑い転げている。
「ソル。俺は食べないから、感想だけ聞かせてくれ」
「何だよぉ〜。一緒に食べてくれても良いだろ?」
「食べる気満々じゃないか」
「満々じゃねぇよ。興味はあるけどさ」
結局は、食べたいのかと言われ、純也はまたジッと缶詰めを見詰めた。
「別に、今ここで食べなくても良いだろぉ〜?」
「気になるじゃないっすかぁ〜」
「じゃあ食べれば良いだろぉ〜?」
「梅野さん、一緒に食いましょう」
「何でだよぉ〜」
結局、食堂から缶切りを借り、爪楊枝を手に戻ってきた純也に付き合い三種類の缶詰めを食べたのだが、癖の強さに四人共が渋い顔になったのは言うまでもない。




