623話
10月27日(日曜日)
春香は、テレビの前で絶句して動く事が出来なかった。
数分前、雄太とアレックスが
一着でゴールした。だが、実況の声が『審議』伝え、確定のランプが点いた時、一着になったのはアレックスではなかったのだ。
(何……? 何があったの……? アルと雄太くんに何があったの……?)
雄太が優勝した時とは違うドキドキに、胸に手を当ててソファーに座り込んだ。
テレビの画面に映されるパトロールビデオの映像。解説される声が、アレックスの降着を伝えていた。
(降着……? アルが……? 雄太くんが……? 一着だったのに……、十八着……?)
凱央には意味が出来ないのだろう。アレックスと雄太が一着でゴールをしたのを見たから、嬉しそうにはしゃいでいた。
「パッパァ〜。アウ〜」
テレビから流れる『斜行』『進路妨害』『降着』と言う言葉が、力なく座る春香の頭の中をグルグルと駆け回る。
どれだけの時間そうしていただろう。凱央が春香の顔を覗き込んでいた。
「マッマ、タイタイ?」
「ん? 大丈夫だよ。どこも痛くないからね」
「ン」
凱央の頭を撫でてやると、凱央はオモチャ遊びを再開していた。春香はテレビを消して、まだザワザワする心を落ち着かせるように、何度か深呼吸をして、遊んでいる凱央を見詰めていた。
「すみませんでした……。本当に気がつかなくて……」
雄太は、進路を邪魔してしまった複数の先輩騎手に、深々と頭を下げ謝罪していた。
「……まぁ、俺だって経験はあるけど……な」
「外枠だったら、内に入りたいってのは分かるけど……」
「落馬しなかっただけマシだけどさぁ……」
長年騎手をしていれば一度ぐらいは斜行をしてしまう事もあるとは言え、それでもG1となれば苦々しい顔になってしまうのは仕方がない。
もし雄太の進路妨害がなければ一着になれていたかも知れないと思うと割り切れないだろう。
「申し訳ありません……」
馬が予想外の動きをしてしまっても、それを御す為に騎手がいるのだ。しかも、今回は雄太が自身の意思で内に入ったのだから一言言いたくなるのは当たり前だと、雄太は唇を噛み締めていた。
(謝ったところで時間は戻せない……。気づかなかったで済ませられる事じゃない……。落馬したりしたら、馬の命にも人の命にも関わる事があるんだから……。それに、俺が邪魔しなかったら、天皇賞を獲れた可能性だってあるんだから……)
騎手や馬だけでない。馬主や調教師、厩務員にも迷惑をかけた事になる。
「本当に迷惑をかけてすみませんでした」
申し訳なさと不甲斐なさに手が震える。先輩達が引き上げた後、雄太はゆっくりと歩き出した。
「雄太」
後ろから声をかけたのは鈴掛だった。
「……鈴掛さん……。鈴掛さんにも迷惑かけました。すみません……」
「俺は直接じゃなかったんだから、謝らなくても良いぞ?」
「ですが……」
鈴掛の馬は、アレックスを避けようとした馬に当たりそうになりダッシュが出来ずに掲示板にも入れなかったのだ。
「もう散々謝っただろ? 気持ちは分かるがな。次、同じミスをしないように気をつけろ」
「はい」
「調教師とは話せたか?」
「はい……。馬主さんとも話せました。申し訳なくて……」
雄太の騎乗の腕をかって騎乗依頼を出し続けていてくれる馬主の悔しそうな顔が、雄太の胸をえぐった。
「まぁ、今回の事を糧にしろ。またやっちまうかもって臆病風に吹かれて攻める事が出来なくなったら、騎手なんて出来ないからな? 分かってるよな?」
「……はい」
「なら良い」
返事をしたものの、やはり申し訳なさは払拭する事は出来ず、帰りの新幹線でも雄太の口数は少なかった。
(かなり凹んでるな……。まぁ、こいつにとって初めての大やらかしだからな……)
自宅に戻る頃には、春香達は寝ているだろうという事で買った駅弁にも手をつける事が出来ずに、雄太はジッと窓の外を見ていた。
その姿を隣で見ていた鈴掛は、雄太自身が乗り越えなくてはいけないと静観する事にしたのだった。




