617話
(雄太くん、驚くかなぁ〜)
春香は、夕飯の下ごしらえをしながら、小さく笑った。
凱央は、手押し車に乗ってリビング中を爆走している。足の力がついたからか、段々と速度も速くなり、カチューシャのようにしている雄太のお古のゴーグルも様になっている。
その時、車庫のシャッターが上がる音がした。
「あ、凱央。パパが帰ってきたよ」
「アイ」
土日は中京競馬場で騎乗していた雄太は、二勝を上げていた。
凱央は手押し車を定位置に起き、手を洗った春香と玄関へと向かった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「ん? えっと……どこかに出かけてた?」
「今日は家にいたよ。どうして?」
「……どうしてって……。だって、服が……」
いつもなら春香はジーンズで過ごしている。それなのに、今日は紺色のサロペットスカートをはいている。
「えへへ。えっとお風呂に入る前に、ちょっと聞いて欲しい事があるの」
「え? あ……うん」
雄太は洗面所に行き、バッグを置いて、手と顔を洗ってリビングに向かった。
コトンとテーブルにコーヒーのカップを置いて、春香はニコニコと笑いながら椅子に座った。
雄太は凱央をハイチェアに座らせた後、自分の椅子に座った。
(怒ってる訳じゃないよな……? 笑ってるし……)
春香は雄太が座ったのを見て、ゆっくりと口を開いた。
「えっとね。雄太くんに重大なお知らせがあります」
「うん」
「来年の春、凱央はお兄ちゃんになります」
「へ? 凱央が……お兄ちゃん……? えぇ~っ⁉ 凱央がお兄ちゃんって事は……、そう言う事っ⁉」
雄太は慌てて立ち上がり、その所為で椅子が後ろに倒れた。
「パッパ、メッ」
「あ……うん」
凱央に言われ、雄太は倒れた椅子を元に戻した。そして、春香の隣の椅子に座り、手を握った。
「ほ……本当なんだよな……? ドッキリとかじゃなくて……」
「うん。ちゃんと病院で診てもらったから、本当も本当の事だよ」
「あ……あ……。やったぁ〜っ‼」
雄太は思いっきり抱きつこうとして、ハッとしてブレーキをかけた。そして、そっと春香を抱き締める。
「そっかぁ……春に……。俺、マジ嬉しいっ‼」
「うん。私も嬉しい」
「……そう言えば、今回は体調がイマイチとか、悪阻とか言わなかったよな?」
凱央を妊娠した頃、体調不良になったり、軽い発熱があったりしたが、今回は何もなかった。
祝勝会の時も全くいつも通りで、春香自身が、妊娠していると微塵も思っていなかったのだ。
「うん。体調良かったし、まさか妊娠してるとは思ってなかったの。ちょっと生理遅れてるなぁ〜ぐらいで。でもね、夢を見たんだぁ〜」
「夢?」
「凱央とお昼寝してた時にね、ベビーベッドがホワッて光る夢を見たの。その時は、そろそろベビーベッドをしまっても良いかなって話してたからかなって思ったの」
雄太が調整ルームに入る日に、凱央が落ちないようにベッドを壁際に寄せて、ベビーベッドをしまおうかと雄太が提案していたのだ。
「そっか。じゃあ、お腹の子が教えてくれたのかもな。また使うよって」
「うん。まぁ、まだまだ生まれないし、一旦はしまっても良いよね」
「そうだな」
そっと春香の腹に手をあててみる。まだ何の膨らみもないが、病院で診てもらい、春に産まれると言われたのだから、ここに新しい命が芽吹いたのだと思うと胸が熱くなる。
「二人目かぁ……。男の子かな? 女の子かな? 楽しみだなぁ……」
「プッ」
「何で笑うんだよぉ〜」
「だって、雄太くんお父さんと同じ事を言うんだもん」
病院の帰り、東雲の店に寄って報告をした時の直樹も同じように言っていたのだ。
「ははは。お義父さん喜んでたろ?」
「うん。もう、ジジ馬鹿になってた」
「想像出来まくるんだけど」
「でしょ?」
直樹の舞い上がった姿を想像してしまい、雄太はゲラゲラと笑った。
「電話……じゃなくて、明日父さん達に報告に行かなきゃな」
「うん」
直樹と同じように舞い上がるだろう慎一郎を想像すると笑いが止まらなくなった雄太だった。




