614話
9月16日(月曜日)
「き……緊張してきちゃった……」
「久し振りに春香がガクブルしてる……」
「だってぇ〜。雄太くんの祝勝会するっていうのは分かってたけど、まさか私の誕生日も一緒になんて言うとは思わなかったんだもん」
淡い紫色のワンピースを着た春香が雄太を見詰める。
琵琶湖に近いホテルのホールを借りての祝勝会。最近は、G1を獲ってもホテルを借りての祝勝会はしていなかったので、久し振りである。
「良いじゃないか。お祝い事は多いほうが楽しいだろ?」
「そうだけどぉ〜」
約一時間前。
雄太のお祝いは良いのだが、自分自身のお祝いをするのは躊躇してしまう春香は、雄太に『春香の誕生日パーティーもかねてるからな』と言われて固まった後、アタフタとして控室をウロウロとしていた。
「マッマァ〜」
「なぁに、凱央」
「アイ」
そんな春香に、凱央は手にしていた馬のぬいぐるみを手渡してくれた。
「凱央が落ち着けってさ」
「ありがとう、凱央」
腰を屈めてぬいぐるみを受け取り、凱央の頭を撫でてやる。
「そもそも、祝勝会をホテルでやろつって画策したのは春香だろ?」
「画策ってぇ〜。雄太くんが勝ったよって言ってくれたから、ホテルに問い合わせして会場を押さえただけだもん」
「そうだな。俺は、ならついでに春香の誕生パーティーしようと思っただけだぞ?」
「むぅ……」
アメリカからの国際電話で雄太の勝利報告を受けた春香は、ホテルに問い合わせをして祝勝会の仮予約をしていた。
(9月16日……。なら、丁度良いな)
そう思いたち、料理などの打ち合わせをした時に春香の誕生日も一緒にと思ったのだ。
ご機嫌をとろうとした雄太は薄く化粧をした春香の耳元にキスをした。それで、コロリと懐柔された春香だ。
「まだ緊張してるか?」
「フゥ〜。もう大丈夫。覚悟決めたから」
「覚悟って」
大袈裟に言う春香だが、いざとなったらキリッとして堂々と振る舞える事は雄太が一番よく知っている。
「ほら、凱央。皆でおめでとうしに行くぞ」
「アイ」
右手を上げて雄太に抱き上げられて、春香と共に会場へと向かった。
会場では、親しい人達が雄太達を待っていた。
「俺も、いつか海外で勝ちたいなぁ〜」
「お? じゃあ、次のG1は獲らないとな」
「俺も秋のG1シリーズはガッツリ行くからなぁ〜?」
幼馴染の活躍が嬉しくもあり、目標でもある純也。小さな子供の頃の雄太を見て騎手には向いていないのではと思っていた鈴掛。弟のように可愛がっていた雄太と妹のように見ていた春香との恋を見守っていた梅野。
それぞれの思いはあるが、とにもかくにも雄太が海外で勝てた事が嬉しかった。そんな思いで、開かれた大きな扉の向こうに立つ雄太達に拍手を送った。
「雄太くんとこんな風に歩くの何度目だろうね」
「え? あ〜。何回目だっけ?」
結婚式のように拍手で迎えられる登場は、何度経験してもドキドキする。
会場にいる見知った人達の温かい拍手と笑顔が嬉しいのは、雄太も春香も同じだ。
今回、歓声が湧いているのは凱央の所為だろう。小さな手をフリフリしているから声をかけずにはいられないのだ。
「凱央ちゃん、可愛いぞぉ〜」
「雄太より愛想良いな」
会場を笑いが包む。
マイク前に立った雄太達が頭を下げると、また大きな拍手が湧いた。
「本日は大勢のかたがたにお集まりいただき、本当に感謝しています。先月、初めてアメリカで勝つ事が出来ました。それは、俺だけの勝利ではありません。アメリカへ行くチャンスをくださった調教師をはじめ、たくさんのかたがたに支えてもらった結果です。アメリカに行っている間の騎乗を調整してくださってありがとうございました」
アメリカに行っている期間、騎乗依頼を受けられなかった雄太を応援してくれた調教師も拍手を送る。
「そして、昨日妻である春香が誕生日を迎えました。本日は春香の誕生パーティーでもあります。存分に楽しんでください」
再び頭を下げた雄太達に惜しみない拍手と声援が会場を包んだ。




