61話
さすがに疲れたのか、帰宅後風呂に入り、軽く夕飯を食べ、自室に戻ると一気に睡魔が襲って来た。
(ヤバいな……。俺、自分が思ってる以上に疲れてる……。取材なんて受けたくなかったのに……。一着獲れなかったのに、何で笑わなきゃなんないんだよ……)
重い体を引きずるようにしながらベッドに近寄るとボスンと倒れ込んだ。
モゾモゾと布団の中に潜り込んで、枕元に置いていた春香の膝掛けを手に取り抱き締める。
(俺、見てくれって言ったのに一着獲れなかった……。市村さん、ガッカリしたかな……? ……サインは……次……かなら……ず……)
襲いかかる睡魔に負けて、雄太は ゆっくりと眠りの底へ落ちて行った。
翌3月2日月曜日
休みだと言うのに6時前に目が覚めた雄太は、起きる気にもなれずベッドでゴロゴロしていた。
(市村さんに会いたいな……。でも、一着じゃなかったし……。良い馬を回してもらえたのに……。馬主さんや調教師にも申し訳なかったな……)
自分の騎乗の何が悪かったのか。
何を、どうすれば良かったのか。
そんな事を考えながらゴロゴロしていると、8時少し前に鈴掛から電話だと母に呼ばれた。
(鈴掛さんから? ……昨日の事だよな……)
そう思いながら電話に出る。
『朝飯食ったら、梅野の所に来い』
「あ……はい」
鈴掛は短く要件だけを伝え、雄太が返事をすると電話は切れた。
いつ厩舎から慎一郎に緊急連絡が入るか分からないから、長電話は出来ない。
他者からみればあり得ない電話の長さだが、それが当たり前になっている雄太はそっと受話器を置く。
朝食を軽く食べると独身寮へと向かった。
梅野の部屋に行くと、鈴掛と梅野はのんびりとコーヒーを飲んでいた。
雄太はドアを閉めたそのままの場所で、深々と二人に頭を下げた。
「昨日は、変な空気にしてすみませんでした」
「とりあえず入って座れってぇ〜。コーヒーで良いだろぉ〜?」
立ち上がった梅野は、雄太に近付き背を押した。
「はい……。ありがとうございます」
雄太は部屋に入り、ソファーに座っている鈴掛の前で正座をした。
「一晩寝て、気持ちの整理はついたか?」
「はい」
いつもより低い声で、先輩騎手として話す鈴掛に、雄太はしっかりと前を向いて答えた。
「そうか。デビューしたてだろうが何だろうが、俺もお前も同じ『騎手』として、同じ土俵に立ってるんだ。先輩だろうが新人だろうが騎手は騎手だ。新人だからってミスが許される訳じゃない。負けた事を引き摺って集中力を欠いたりして良い訳じゃない。一着になれなかった事やミスった事を引き摺ってたら駄目だ。次に乗る馬に申し訳ないし、馬主や調教師にも申し訳ないだろ。上手く切り換える事を覚えろ。反省するなら、全部のレースを終えて、家に帰って好きなだけしろ。分かったな?」
「はい」
デビュー前の雄太にも、散々あれこれ言って来た事に加え、デビューしたなら『騎手鈴掛由文』として言わなくてはならない事を『騎手鷹羽雄太』に伝える。
デビューしなければ分からない事。
経験しなければ分からない事。
雄太は真っ直ぐ、鈴掛を見て 力強く答えた。
「良い返事だなぁ〜。んじゃ、今日の本題に行こっかぁ~」
梅野が雄太の分のコーヒーをテーブルに置いて、ニッコリ笑って雄太の顔を覗き込んだ。
「あ、ありがとうございます。本題……ですか? 昨日の事が本題じゃなくて……?」
「昨日の騎乗の事の説教は鈴掛さんの本題。俺の本題は別だからぁ~」
(え? 鈴掛さんの本題と梅野さんの本題が違う? 梅野さんに説教されるような事あったっけ……?)




